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生きること、愛すること〜「潜水服は蝶の夢を見る」その1

只今撮影中の007シリーズ最新作「Quantum of Solace」に敵役として出演する、フランス人俳優マチュー・アマルリック。
わたくし、出演の噂が流れ始めるまで彼のことをほとんど知りませんでした(まあ、いつものことだ…)。ダニエルが以前に出演した「ミュンヘン」にマチューも出ているので実際には見ているはずなんだけど、「ミュンヘン」を観たのがダニエルにハマリたての頃だったので、正直ダニエルしか見えてなかったんだよね。
「Quantum of Solace」出演正式発表の少し前くらいから画像を見かけたり噂を聞く機会が増え、ちょっとずつ気になりだし、今回の「潜水服は蝶の夢を見る」の公開は、もう心待ちにしていたのです。
この作品は各国の主要映画賞で軒並みノミネートされており、カンヌ国際映画祭やゴールデングローブ賞などで受賞も多数。2月25日に発表されるアカデミー賞でも監督賞・脚色賞・撮影賞・編集賞でノミネートされております。
日本では単館中心で、東京や神奈川では2/9から公開が始まりました。その他の関東地区および大阪が昨日の土曜日から、その他の地区が2月末から3月に掛け全国公開される模様。

でもって、この前の水曜日。観て来ましたよ〜。
行きつけの近場のシネコンでは上映されなかったので、30分ほど電車に乗った某観光地にあるシネコンまでいそいそとお出掛け。
「潜水服〜」が上映されたのは客席数140席の比較的小さなスクリーンだったのですが、なんと満席。完売御礼だったよ!
アカデミー賞効果っていうのもあるだろうし、各メディアでの映画評もメチャクチャ高いし、レディスディだったということももちろんあるんだろうけど、ちょっとびっくり。
先日「スウィーニー・トッド」を観に行った時は、公開初日だっていうのに7割弱くらいしか入ってなかったのにー(もっとも客席数は400位あったけど)。
ビッグネーム出演&派手な演出のハリウッド映画とは間逆の、比較的地味な映画ってことを考えると素晴しいことだよね。
こういう映画がヒットしてくれると、今後の洋画公開について期待が持てるというものです。
…祈!「Eastern Promises」拡大公開!(「潜水服〜」には直接関係無い話なので、一応小さくしてみた)

※以下の粗筋解説および感想には、多少のネタバレが含まれます。ご注意ください。


「潜水服は蝶の夢を見る」(2007年、フランス/アメリカ)

ファッション雑誌ELLEの編集長として華やかな生活を送っていたジャン=ドミニク・ボビーが目を覚ますと、そこは病院だった。
語りかける医師に反応を返せない自分に気付いたジャン=ドー(ドミニクの愛称)は愕然とする。ジャン=ドーは脳梗塞の発作により、全身麻痺の身体となってしまったのだ。意識もあり知的能力には全く支障は無いのに、身体中で動かせる箇所は左眼の瞼だけ。彼の症状は「ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)」と呼ばれる大変珍しいものだったのだ。
言語療法士アンリエットたち病院のスタッフは、ジャン=ドーのためにコミュニケーションの方法を模索する。彼女らが考え出した手法は、左眼の瞬きのみで会話をすることだった。「はい」なら1回、「いいえ」なら2回、瞬きをする。アンリエットがアルファベットを読み、ジャン=ドーは希望のアルファベットの箇所で瞬きの合図をする。
やがてジャン=ドーは、瞬きのみで自伝を書くことを決意した。20万回の瞬きを繰り返し、遂に自伝は完成する…。


前評判に違わぬ、素晴しい作品でした。しかし、よくある難病物のお涙頂戴映画では決してありません。
大袈裟に感動を煽り立てることなく、物語はむしろ静かに淡々と進みます。しかし、、ストーリー、映像、美術、音楽や音響、役者の演技などなど、映画を構成する様々な要素が見事に渾然一体となり観客を圧倒するのです。

映像は主にジャン=ドーの視点で撮影されています。カメラの映し出す映像が、ジャン=ドーの視点そのものなのです。
冒頭で昏睡から目を覚ましたジャン=ドーが朦朧とした状態のまま医師や看護士を見る時にはぼんやりとして定まらぬ映像、徐々に意識がはっきりとしてからは心の動揺のままに忙しなく周囲を見渡す映像、そしてジャン=ドーが絶望しながらも現実の状況に慣れ始めてからは、ジャン=ドーの意思と連結した視線が映像として映し出されます。
その映像表現が実にリアル。
例えば、動かない右瞼を眼球保護のために縫い付けるというシーンがあるのだけれども、そこでは眼球側からの視点が画面一杯に映し出されるのです。…以前にも書きましたが、私は流血系内臓系の映像は全く平気なのだけれども、このシーンではちょっと仰け反りましたねえ。自分の瞼が縫われているような感覚に襲われた。
これは一例ですが、このように観客はまるで自分自身がジャン=ドーになったかのように感じさせられ、冒頭からグイグイと物語の中に、ジャン=ドーの内部に引きずり込まれていくのです。

自らの意志を即座に伝える手段の無いジャン=ドーは、テレビのチャンネルを変えることも本を読むことも出来ない。
その代わり想像の翼を羽ばたかせることでせめてもの楽しみを得ようとするのだけれども、そのシーンではジャン=ドーの視点映像とは一転した、変幻自在で印象的な映像が続きます。
花、蝶、動物、雄大な自然、古代の遺跡、神々の奇跡等々。ジュリアン・シュナーベル監督は本来は画家だそうですが、この夢幻的なまでに美しい映像を観るととても納得させられます。
そしてジャン=ドーは元気だった自分を思い返し懐かしく思ったり後悔したり、病後に知り合った女性たちとの実際には成しえない触れ合いを妄想したりするのですが、そのシーンでのジャン=ドーは生気に溢れ魅力的であり、そしてその映像は不思議なエロティシズムに満ち満ちているのがまた素晴しいのです。

ジャン=ドーの視点、ジャン=ドーの心象風景、物語が進み次にカメラが映し出すのは現実のジャン=ドーと彼を囲む人々の姿。
ジャン=ドーを愛し大事に思う家族や友人が彼を訪ね、電話をし、愛情や友情を伝え、時に涙にくれるシーンは悲しくてどうにもやるせないのですが、同時に人が真に人を想うことの美しさをも感じさせてくれます。
そしてまた、季節の移り変わりを繊細に映し出した映像が、ここでも大変美しい。

最初は言語療法士のアンリエット、そして行動療法士のマリー、ジャン=ドーの3人の子供達の母であるセリーヌ(籍を入れないままで別れたので元妻ではない。余談ですが、現在フランスでは新生児の50%が婚外子だそうです)、ジャン=ドーの言葉の書きとめ役として出版社から派遣されるクロードといった美しい女性たちが、アルファベットを読み上げてジャン=ドーとコミュニケーションを取る方法を見につけていきます。
彼女らが次々にアルファベットを読み上げる声が、映画全編に渡って延々と繰り返されます。繰り返されるアルファベットの響きは永遠に寄せては返す波の音のようで、映画を観終わってからもその声がいつまでも耳に残りました。

ジャン=ドーはもちろん言葉を発することは出来ないのだけれども、映画の中では彼の独白=内なる声という形で、彼がその場その場で考えたことが流れます。――ちなみに、字幕ではカッコの中に台詞が書かれている形で表現される。<僕は閉じ込められている>といった感じ。
マチューのインタビューを読んだのですが、このジャン・ドーの内なる声は、例えばナレーションのように別録したものを後から映像にくっ付けた訳じゃないんだって。
撮影現場に設置した隔離ブースの中にマチューが入り、カメラ映像(主人公ジャン・ドーの視線)をモニターで見ながら撮影と同時録音したんだとか。それが故のあの臨場感なんだなと、感心いたしました。

ジャン=ドーは最初絶望し、やがて気持ちを取り直して執筆に勤しむのですが、その気持ちの変遷は右肩上がりのグラフのような単純なものではありません。時に下がり、そして持ち直し、再びどん底まで落ちたかと思うと、また持ち直す。
奇妙なユーモア感覚で自らや周囲の人を表現してみたり、偽悪的になってみたり。しかし、老いた父やまだ幼い子供達へ向ける愛情はより深くはなっても決して損なわれることはありません。美しいスタッフへのほのかな恋情はいっそ愛らしいほどで、その感情表現は豊かで実に人間的です。
発病後、一時は絶望の果てに死のみを願うジャン=ドーでしたが、彼を愛し支援しようとする人々の心に触れ、やがて身体は潜水服の中に閉じ込められたような存在でも想像力と記憶は自由であり、イマジネーションを蝶のように飛翔させることが出来ると考えるようになります。
リハビリのための器具に立つことも、ベッドに上半身を起こしておくことすら補助具無しにはままならない。片目は縫い付けられ、唇は大きく歪み口の端からは涎が垂れてしまうジャン=ドーの姿は生きることの煌めきや喜びから弾き出され、生と死の狭間でただ命永らえているだけの存在のようにすら見えます。
しかしその心は閉ざされてなぞおらず記憶と想像力によって羽ばたき、瞬きだけで言葉を紡ぎ自らの人生と想いを残すべく執筆活動をする姿は、確かな生の営み以外の何ものでもありません。
生きることは時に残酷で、美しいことばかりでは決してない。それでも人間は絶望に囚われ死を選ぶのでなく生きるべきなのだと、汚泥に塗れても潜水服の中に閉じ込められても、人は生きることを自ら望み選択すべきであるのだと、ジャン=ドーの残した著作とこの映画は語っています。


あらら、珍しく終始真面目に締めちゃった。余談&与太話は、仕切りなおして明日にでも。
きゃん * マチュー・アマルリック * 23:51 * comments(0) * trackbacks(0)

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