マチュー・アマルリックとの再会

    2011.02.14 Monday| 23:56 |
JUGEMテーマ:映画

まだお正月気分も残る、1月8日のこと。マチュー・アマルリックとの再会を果して参りました。
もう一ヶ月以上も前の出来事だと言うことに、暫し茫然。
今更なんだかだなあ、と言う気がしないでもないですが、何せ鳥頭な管理人のこと。文章にして残しておかねば、宝石のように煌く一日の出来事を忘却の彼方に見失ってしまいかねない。せめてのも覚書として、書き起こしておきたいと思ったのです。
ま、ちょっと、リハビリのつもりもある。何せ、ブログもアレコレも放置しっぱなしなので(済みません、済みません、ホント済みません…)。

さて、マチューとの再会、とは言ってもこれはもちろんあくまでも、私個人の主観でございます。
客観的に申すなら、日仏学院主催のマチュー・アマルリック監督特集に合わせて来日した、マチューのティーチイン付き上映会を観に行った、と言うのが無論のこと正しい。
フランス映画祭の企画で、アルノー・デプレシャン監督とアンヌ・コルシニとマチューとのトークショー付き上映会が開催されたのが、昨年3月のこと(当ブログ2010.3.22および3.23記事をご参照ください)。
それからまだ一年も経ってないのに、厳密に言えば10ヶ月足らずで、またもやマチューが来日してくれるなんて!嬉しいぞーっ!!
胃弱風呂のまさきさんもおっしゃってましたが、スパイな英国人は何度来日しても会えそうに無いし(己のクジ運の無さを怨め)、来日の折にお腹壊しちゃったヒーローだったり探偵だったりする米国人はもう来日してくれなさそうだし、愛しのデンマーク人はいつまで待っても来日の気配が無いし。
コスモポリタンなお方はいつかまた来日してくれるに違いないと信じておりますが、それにつけてもたったの10ヶ月で再来日してくれたフランス人ってば、なんて素敵にキュートでマーヴェラスでご親切な御方なのかしら。

ってことで、当日です。
毎度お馴染みの三人組、日仏学院の最寄駅JR飯田橋駅にて待ち合わせ。
鋭い観察眼をウィットで包みこんだ変幻自在の文章、映画と酒とエロを語れば他の追随を許さない胃弱風呂。のまさきさん。
優れた語学力と華麗なるフットワークで世界中にアンテナを張り巡らし、映画と俳優について熱く語る碧い瞳に魅入られて のalexさん。
そして、情報弱者なくせに妄想過多、夢とうつつの狭間をうろつく遅筆な私、きゃんの三人でございます。
11月のオフ会以来二ヶ月ぶりの再会を喜び、先ずは手近なイタリアンレストランで昼食をば。食べてる間も寸暇を惜しんで喋り倒す私たち。今日の話題の中心は無論マチューな訳ですが、その他の俳優話もいろいろと尽きぬのは毎度の通り。
気が付くと一時間以上が経過してました。お店が混み合っていたわけでは無いのですが、ファミレスでもあるまいし、長居はお店に迷惑かと(ファミレスならいいのか?って話もあるが…いいのか?)。

イタリアンレストランを出て、お茶するところを探して飯田橋周辺をうろつくこと暫し。
ここでちょっとした事件が。
私がうっかり、「ここをまっすぐ行けばショートカットできるんじゃない?」なーんて言ったもんだから、住宅街に迷い込み、気が付いたら、飯田橋のお隣の市谷に着いちゃったよ。
…ゴメン。特に、坂道を歩き慣れていないという平地住民のまさきさんは、さぞや疲れたことでしょう。まことにもって申し訳無かった。

とにかく飯田橋に戻ろうと歩いていたら、市谷と飯田橋の中間の日仏学院近くに辿り着いちゃった。怪我の功名(←ポカスカポカスカ)とばかりに、内部を覗いてみることにしました。
alexさんは今回のチケット取りのために以前に来ているのですが(感謝!)、まさきさんと私は初めての訪問。お上りさん気分で物珍しく、アチコチ眺め倒しました。
初めて訪れた日仏会館は、独特の雰囲気のある場所でした。
普通の学校とはちょっと違う、と言ってオフィスのようでもなく、美術館や図書館のような風情もあり。お馬鹿を承知で敢えて申すとすれば、どことなくフランスの香りが漂ってきそうな、そんな感じの建物とお庭です。
閉鎖的とまではいきませんが少々敷居が高いように思ったのは、私の語学コンプレックス故でしょう、きっと。
我々が観賞する会は夕方からだったのですが、午前中からマチュー監督作品の上映があるので、ロビーや庭先には映画好きな、そして多分マチュー好きである皆様がそこかしこにいらっしゃいます。
今回の「マチュー・アマルリック特集」のチラシやら、今後上映予定のフランス映画のチラシなどをゲットし、先ずは一旦、退出することに。入場時間まで三時間近くあったので、仕切り直してお茶をしようということに話が決まり、振り出しの飯田橋へと戻る三人組。

市谷から飯田橋周辺にレストランや居酒屋は沢山あるんだけど、小洒落たカフェってのが案外見当たらない。結局はチェーンのファミレスへと入り、会場時間までの時間をここでまったりと過ごすこととなりました。
最初はお茶してたんだけどね…映画鑑賞前だと言うのに、昼間だと言うのに、ついついうっかりワインなど頼んじゃったり飲んじゃったりしたのは、私だけじゃないんだからね! alexさん「だけ」は無実です。わっはっは。
話が盛り上がりすぎてうっかり時間を忘れ、ファミレスを出たのが入場開始ギリギリ。挙句、三人して飯田橋から日仏学院までをほぼ走りっぱなしに走り、心臓破りの急な坂道で本気で心臓が破裂しそうになったのは、ワインの所為では無いと思う。多分。

必死で走った甲斐があり、開場時間寸前に現地に到着することが出来ました。
指定席ではなく整理番号順で順番に入場するシステムなので、遅れて到着したら、せっかく一桁の整理番号を取ってくれたalexさんの努力が水の泡になるところだったよ。ふー危ない、危ない。
前方中央部の席を先ずはゲット。まだドキドキバクバクと跳ねまくっている心臓を宥めつつ、周囲を見渡しました
昨年のフランス映画祭の会場と比べるとかなり狭い。どうだろう、全体で200席くらいだったのかなあ。それとも、もうちょっとあったのか。
この日は一日中、地に足が付いてない感じで気持ちがフワフワしていて頭が回らず、席を数えたりもしなかったのだけれども。結構、関係者席が多かったのが、印象的でした。席数が少ない分、割合的に目立ったのかも知れないけど、マチュー・アマルリック監督への業界関係者の関心度の高さと受け止めました。

余談ですが、私達が座った同じ列に、俳優の加瀬亮さんが座っていたらしい。
「らしい」と云う曖昧な表現なのは、迂闊なことにちっとも気づいていなかったから…。後になって、同じ会場に来ていた友人のIさんに教えてもらって、初めて知ったと言う。確かにその辺の座席は関係者席になってたなあ。
会場薄暗かったし、とにかく意識の全てがマチューに向かっていたしで、気づかないのも当然…とは言い切れない。お手洗いやらで立つ度に、加瀬亮さん(らしき方)が座っている前を、「スミマセーン」と言いつつ何度も行き来してたからねえ私ってば。周りが見えてないにも程がある。うむむ。
まあ、気づいていたら何かアクションを起こしたかと言えば、私の場合そう云うことは絶対に無いので、別に良いのだけれども(そう云うとこ、案外ミーハーじゃないのだ)。

閑話休題。
そしていよいよ、マチューがカンヌ映画祭で監督賞を受賞した作品「オン・ツアー」(仮)の上映時間となりました。上映に先立ち、先ずは関係各位からご挨拶。
そして皆さん、朗報ですよー! 「オン・ツアー」、日本での正式公開が決定とのこと。配給会社の担当者の方からのご案内があったので間違い無し。公開時期は未定とのことですが、初夏あたりらしい。
今回の先行上映でご覧になれなかった皆様(と言うか、観れたほうが貴重。ああ、ありがたや)、公開まで暫し待たれい。

以下、先ずは映画の感想になります。公開までまだまだ日があるので、ネタバレは避ける方向で書いておりますが、内容の若干の説明あり。
ネタバレは一切厳禁!な方は、回避くださいませ。



「オン・ツアー」(仮) 2010年フランス

テレビ業界で名うてのプロデューサーとして知られていたジョアキムはトラブルを起こし、子供も友人も、恋人も捨ててアメリカへと渡る。
数年後、アメリカのストリップ嬢たちのグループを連れて帰国したジョアキムは最終目的地パリを目指して、港町のミュージックホールを転々と巡業して行く。だた、いまやすっかりう業界で干されてしまったジョアキムはパリの小屋をブッキングすることが出来ず、彼らの旅は次第に目的を失っていく。
舞台の上では大胆に、いきいきと輝きながらも、現実では脆さや繊細を持つ女性たちを監督=俳優マチュー・アマルリックが愛情を持って描いている。(日仏学院主催、マチュー・アマルリック監督特集パンフレットより引用)

パンフレットではストリップとなっていますが、正確にはバーレスクと称すべきショーです。
他の映画の題名・題材にもなっているのでご存知の方も多いと思うけど、肉体や局部を露出するだけの見世物ではない、技巧的でセクシャルなダンスに艶笑的なコントやネタを盛り込んだエロティックなショー、とでも表現すればいいのかな。
劇中に何度も登場するバーレスクショーは猥雑でいかがわしく、しかしひたすらに陽気で、性と生のエネルギーに満ち溢れています。ありふれた言い回しですが、俗悪と表裏一体となった聖性すら感じさせられます。
ダンサーたちの肉体もまた、一般的な意味での美醜を超えたところにあります。ハリウッド映画に登場するサイボーグの如き完璧ボディとは真逆の肉体。有体に言えば、いささか異形じみているほどの肥満体揃いなのですが、映画を観ている内にこれもまた一つの美なりと云う気分になってくるのが不思議。
話が脱線しますが、彼女たちの埋もれてしまいそうな柔らかく豊かな肉体を眺めている内に、モーパッサン「脂肪の塊」に登場する心優しき哀れな娼婦が脳裏に浮かび上がりました。それが故に尚のこと、「聖性」と言う言葉を連想したのかもしれません。

映画に登場するダンサーたちは皆実際のバーレスクのダンサーたちで、本職の女優ではありません。ところが、彼女たちの演技は実に見事でした。
とにかく自然体。彼女らが演技をしているのだと云う当たり前のことをうっかり忘れそうになるくらい、その振る舞いや佇まいはナチュラルです。そのナチュラルさは映画全体も同様で、物語、フィクションとしての映画を観ているのではなく、バーレスクダンサーチームの巡業の有様を描いたドキュメンタリーを観ているとうっかり錯覚しそうになるほど。
映画鑑賞後のティーチインで、マチュー・アマルリック監督自身が語っていたのですが、それはこの映画を作る上での狙いだったらしい。
自分の役割はとにかく、彼女達が演じるという意識が無く自然に振舞えるよう段取りすることだったというのが、マチューの言でしたが、それは完璧に成功していたと言えましょう。
ナチュラルを目指したが故なのか、この映画では、様々なエピソードや人間関係を説明せず放置してあります。
主人公のプロモーター、ジョアキムの過去にいったい何があったのか。断片的には語られるものの、全てを説明されることはありません。途中で登場する子供たちや兄弟家族との現況もはっきりしないままですし、ジョアキムとダンサーたち、特にヒロイン的存在のミミとの関係性も曖昧なまま。
織り込まれたエピソードも解決したのかしないのか、その後の展開の伏線になるのかと思いきやそうでもなく、そんな曖昧なままに物語は進み、そして終るのです。
ジョアキムとダンサー達の旅の終着点がどこなのかは、監督が描きたかった物語とはいったい何であったのかは実際に映画を観てご確認いただくとして、ここで記しておきたいのは、この「オン・ツアー」と言う映画が、ハリウッド映画のように全てを説明しきった挙句、判った?判ったよね?と念を押してくる映画とは全く違うものであるということです。
人間の心理の不確かさや混乱した物事を手取り足取り説明することなく提示し、観客の観る眼や考えに判断を任せるという手法がいかにもヨーロッパ、特にフランス映画的だよなあ、と私は思ったのですが、上映後のティーチインに参加しマチューと対談していた青山真治監督が、非常に上手く表現してました。
「観客を軽んじてバカだと決め付けず、観客の知性を信じて作られた映画」(←正確では無いけど、大体こんな言い回しでした)
まあ、この言い方だと、ハリウッド映画は観客をバカだと断じてとにかく判りやすく作っていると言う極論になってしまう恐れもありますが、要するに、映画を観ることは、一方的に与えられる映像や台詞を受け止めるだけの行為ではない。監督や俳優がその映画によって訴えたいことを、観客が考える、感じる、そして自由に想像することも大切だし、それも映画を楽しむ、堪能する一つの方法であると青山監督は言いたかったのではないかと。

マチュー監督曰く「世の中の出来事は、全てが理屈で説明できるわけではない。この映画ではそうした日常の曖昧さも表現したかった」(←しつこいようですが、これも正確な表現ではありません…嗚呼、ちゃんとメモを取っておけば良かった)
確かに普段の生活において、起こる出来事の全てが次の出来事の伏線になっていたり、瞬間瞬間の感情や行動を全て理屈で説明出来るかといえば、そんなことは絶対に無いわけで。そう云う意味からしても、確かにこの映画はナチュラル&リアルです。時に曖昧な人間関係、時に置いてきぼりのエピソード。
しかし、ただのリアルをただ切り取っただけでは映画にならないのは当然のこと。実に上手いなあと思ったのは、その辺のバランス感覚でした。登場人物の会話やその時々の出来事を無作為に映し出しているかのように思わせながらも、実はきちんと計算された演出がなされている。
観終わって、先に書いた曖昧な人間関係や解決されないエピソードが気にならないわけではないのですが、それは映画の瑕疵として気になるのではなく、映画の中に登場する彼ら彼女らに対し抱いてしまった強い関心の故とはっきり思える、言い切れる。
これ以上書くとどうしてもネタバレ過剰になっちゃいそうなので、この辺で止めておきますが、マチューが演じた主人公ジョアキムと彼を囲むダンサー達の強さと弱さ、したたかさと臆病、俗悪で下品なのに時に崇高さすら感じられる、そのカオスな魅力の凄まじさと言ったら!
秀逸な映画であることは間違いないです。この夏に予定されている公開後、是非、映画館で観て、感じていただきたい。心からそう思いました。

 

さーて、ミーハータイムの始まりですぞい。
この映画における俳優マチューですが、いやあ、実に格好良く可愛く、そして色っぽかったです。かなり身体を絞ったのか、たまたまそういう時期だったのか、すっきりと細身。スーツ姿がとても良く似合います。
個人的な好みがかなり入りますが、私がこれまでに観た日本未公開も含むマチュー出演映画の中で、容姿という点ではベストワンな作品だと思ったくらい。
女性陣がそろいも揃ってルノワールの裸婦のような肉体だし(←オブラートに包んでみた)、一人だけいる男性ダンサーはマッチョ体型だし、雑用係の男性はひょろっと背が高いし。必然的にマチューがいつも以上に小柄で華奢に見えちゃうのだが、そこがまた何とも良いのだ、カワユイのだ。
本職のバーレスクダンサーである女性陣は別として、男性キャストについて意図的に大柄な俳優を選んでいたとしたら、マチューは自分の容姿の特色や他人に与える印象をしっかと理解した上で、計算尽くで選んだとも推測出来るけど…どうだろう(もしそうだとしたら、マチューってば結構な小悪魔ちゃんだと思われる)。
映画自体はもちろん、上で書いた通り非常に興味深くて素晴らしい作品なのだけれども、エロ可愛いマチューを眺めているだけでも、うっかりうっとり幸せーな気分に浸れちゃうこと間違い無し。
真面目な映画ファンの方にはもちろんだけど、マチュー・アマルリックという俳優に少しでも興味をお持ちの方は必見です。
可愛いイキモノ好きな、マ・ニ・アな貴方には無論のこと、地母神のごとき豊かな肉体に埋もれる可憐なマチューをご堪能くださいませー。

上映後のティーチインには、マチューと日本の映画監督・青山真治氏が参加。
前回のマチュー来日の折も司会役を務めていた日仏学院女性スタッフの仕切りで、ティーチインがスタートしました。
特筆すべきは、マチューは一つの質問に対し、実に誠実に沢山の言葉を駆使して語る人であるということ。
この日は同時通訳が入っていて、我々観客には前もってイヤフォンが配られていました。マチューの語ったことを日本語に翻訳したのをイヤフォンで聞き、マチューはマチューで、日本語をフランス語に同時通訳されたものを聞いて会話するという形式。
必然的に、会話の途中途中で通訳が翻訳すると云う普通のやり方に比べ、語る分量が格段に多くなる。
同時通訳がどなただったのかは存じ上げないのだけれども、物凄く大変だったと思うし、その翻訳技能は実に素晴らしいものだったと思う。
いや、私はもちろんフランス語はまるで判らないんですがね、奔流の如く語るマチューの映画論や芸術論、脚本執筆時や撮影時のエピソードを、立て板に水の勢いで日本語に翻訳するって…大変だし凄いよ、ホント。
先ほど、メモを取っておけば良かったと書いたけど、実際問題、メモを取ったところで、途中で放棄していたと思います。生憎と速記技術を持ち合わせて無いので、間に合わない、絶対。

そしてマチューはですねえ、話す時、とにかく相手の目をじっと見つめて話すのです。
これは前回来日時の記事でも書いたと思うけど、あの大きな眼を見開き、逸らさないどころか、覗き込むようにしてじーっと見つめ続けるんだよね。
もしも私がフランス語かせめて英語が出来たとして、マチューと一対一で話す機会があったとしても、あんな風に見つめられていたらまともに話せる自信なんて、まるで無いです。視線を受け止めきれず、どうして良いか判らず、オロオロするに違いない。
実際にですね、前回の来日時、壇上に居るマチューと眼があったんですよ。一番前の席だったし、気のせいではない。変な日本人の女が眼をハートにしてこっち見てるー、面白いー(またはキモイー)と思われたのかもだが、いやあ、マチューってば逸らさない、逸らさない。ええ、逸らしちゃいました、私。あの視線の強さに耐え切れなかった。根性無しでチキンハートなんですってば。

えーと、当日の話に戻しますと、青山監督がですね、やはり若干挙動不審でしたよ(笑)。マチューと話していると微妙に目が泳ぐし、視線を外してはアッチの方向見てるし。
でも、仕方ないと思うのだ。青山監督が語っているあいだ、マチューってば自分の膝に肘を乗せるようにして屈みこんで、小首を傾げたポーズで青山監督の顔を覗き込んでいるんだもん。青山監督、それでなくてもシャイな雰囲気の方だったので、そりゃあ、照れるよ。
…あ、今、唐突に思ったのだが、もしかしてマチューってばワザとやってた? うー、この小悪魔め!(笑)
ティーチインは1時間半くらいだったでしょうか。日仏学院的には一時間くらいの予定だったんじゃないかなあ。終わり際、司会者の方が結構焦ってた雰囲気だったし。でも、とにかくマチューは語り倒すし、観客との質疑応答の際も端折ることなく返答するので、長引いた気配でした。
長距離の移動で時差もあるし、疲れていないはずは無いのに、とにかくマチューは終始真摯でかつにこやかで、疲れた素振りやイヤな顔など一切見せませんでした。
プロフェッショナルな大人とはこうしたものだということを、またも見せてもらった気がします。

ティーチイン後、退出したマチューですが、大劇場などとは違い普通に皆が通る廊下や階段を通っていくので、囲まれちゃってさあ大変。スタッフは一応ガードはしていたけど、マチューが特に拒もうとしないので、歩きながらもプチサイン会&プチ写真撮影会状態。
私はちょっと出遅れちゃったこともあって、ほとんど近寄ることも出来ず、一緒に写真を撮って貰ったりサインをして貰っている人を「いいなあ」と指を咥えて見つめることしばし。
建物の出口を出て庭に到るまで観客一同、ぞろぞろと後を付いていったのですが、ようやく少しだけ近寄れた時に撮影したショットがこれ!

生マチュー

持ちきれないほどのお花とプレゼントに埋もれたマチューです。良い顔して笑ってるよね。
その後マチューはスタッフに誘導され、控え室らしきところに引っ込んでしまいました。
観客も皆、帰宅体勢に入ったのですが、私たちはなんとなーく名残惜しく、また、会場で会った友人知人と話したりしていたら…マチューまたも登場!

 生マチュー

まさきさんはプレゼントを渡して、握手してもらっておりました。良かったねー。
貢物の無い私は遠慮して、遠目から写真を撮ることで満足。

どうやらマチューは、スタッフの方々と遅い夕食を取りに出掛けるらしく、最後まで居残っていた我々ファンに軽く手を振り、飯田橋の坂の上へと消えていきました。
とまあ、このように慌しくも夢心地で過ぎていったマチュー来日の一夜。
ありがとう、マチュー。また是非、来日してください。今回のマチュー来日とマチュー・アマルリック監督特集のために尽力なさった日仏学院および関係スタッフの皆様には、一ファンとして心からの感謝を。本当にお疲れ様でした。 


マチューが監督賞を受賞しました!!!

    2010.05.24 Monday| 03:43 |
カンヌ映画祭、マチュー・アマルリックが監督賞を受賞!

いやあ、実におめでたい。ドンドン、ぱふぱふ〜 拍手
勢いを駆ってパルム・ドールもっ!…と手に汗握ってテレビの前で正座していたのだが(あくまでも比喩的表現)、残念ながら最高賞の受賞は叶いませんでした。

でもまあ、めでたい。監督賞で受賞と云うのは、作り手意識の高いマチューにとって非常に嬉しかったのではないかと思われます。
ただ、だからと云って「もう俳優やんない、監督に専念するんだい」とか言い出さないでね、お願いだから。
などと考えながら、壇上に上がった金魚さんたち(マチュ作品出演の女性陣。先日の記事参照)と一緒に喜んでいるマチューを眺めていたら、次の賞のプレゼンターだったエマニュエル・ドヴォスが同じようなこと言ってました。
「おめでとう、マチュー。でも、これからも私と共演してね」
ですって。うん、して、して。

まあ、とにかくめでたい(しつこい)。
次は、日本公開決定!と云うめでたいニュースを聞きたいものです。



誰? この、男っぽくも色っぽい男性はっ!!
もちろん、当然ながら、マチューですよん。
可愛いかと思えば、こんなにセクシー。このギャップがたまらんぜよ。



ふわあっ…この視線、腰にクル。ヤバイ。

2010年カンヌ映画祭、マチュー登場!

    2010.05.14 Friday| 00:18 |
「アリス・イン・ワンダーランド」のレビューを書こう!とか、そう言えば先月行った羽村市動物公園の動物写真、せっかく整理したのにブログに上げてなかったっけとか、ウチのブログの四本柱についてのコネタを思いついたとか。
いろいろ記事にしたいことはあったんだが。
本日開幕のカンヌ映画祭に登場したマチューの、殺人兵器並み強力チャームに全てぶっ飛びましたぜ。



見よ!このナチュラルでチャーミングな笑顔を!! 
むっちゃ、可愛ええ…。くはぁ〜(腰砕け)。
うん? ちょっと待てよ。右ほっぺにべったり付いてるキスマークは、一体何ぞや?



このお姉さんたちの仕業でした。
一瞬、ドラッグクイーンの皆様かと思ったら、今回、カンヌ映画祭のコンペティション部門に出品されたマチューの新作「Tournée (ON TOUR)」にご出演の皆様らしい。
どんな作品かは、以下参照。

カンヌ国際映画祭公式サイトより〜Tournée (ON TOUR)



【ストーリー】
元パリのテレビプロデューサー、ジョジャンは子ども、友人、敵、愛、後悔、すべてを捨て、40歳をゼロからやり直す気でアメリカに渡る。
ところが彼はストリッパーのチーム「New Burlesque(ニュー・バーレスク)」を引き連れてフランスに帰ってくる。彼の夢はフランス、そしてパリでツアーをすること!
町から町へ、ユーモアある出し物と女性たちの曲線美が男性だけでなく女性まで熱狂させる。
安ホテルに陳腐な音楽、資金不足にも負けず、ストリッパーたちはファンタスティックで熱く盛り上がる奇抜な世界を作り出す。
しかしツアーのフィナーレを飾るはずのパリのショーで、チームの夢ははかなく消える。ジョシャンの旧友の裏切りで、舞台が無くなってしまったのだ。パリへの帰還は彼の古い傷口をこじ開けてしまう…。


どうやら、バックステージ物の映画らしい。私、大好物! ほら、「プロデューサーズ」(←ミュージカルだけどね)に大ハマリして、14回も映画館に通った人だから。
マチューの監督・脚本・主演作だそうな。観たいなあ、むっちゃ観たいなあ。どこかの配給会社さん、買い付けてくれないかなあ。 
ストーリーから判断するに、このド派手なお姉さま方は、ストリッパー役の女優さんたちなのでしょう、きっと。だからわざとこんな風にド派手で、一歩間違えるとドラッグクイーンみたいな扮装で登場したと、多分。



迫られてます、マチュー。向かって左側のお姉さまが、特に怖い。
マチュー、喰われちゃいそう。



喰われないまでも、味見はされちゃったんだね。ぺろり。



プリティなお尻をわしづかみされてます。
ローズ柄ワンピのお姉さまってば、カメラに向かってガオーッ!と威嚇。



で、頭を抱えると。
可愛いなあ、やっぱり。
探せばもっともっと、可愛い画像がネットのあちこちに落っこっていそう。
いざゆかん!ネットの海へ!!

追記:この辺に、いい感じのが落ちてました↓↓↓

daylife
※ウォーターマーク無し。画像クリックで、もっと大きくなります。

APimages
※ウォターマークはあるが、画像が多い。画像クリックでちょっと大きくなります。

マチュー・アマルリックに会った日〜その2

    2010.03.23 Tuesday| 02:04 |
と云うことで、生マチュ捕獲作戦その2です。
先の記事でも書いた通り、上映会場の入り口からごくごく普通に入場してきた、アルノー・デプレシャン監督&マチュー・アマルリック&アンヌ・コルシニの御一行。
世界的に有名な監督と俳優のお三人様が、手を伸ばせば届くすぐそこを談笑しながら和やかに入ってきたことに、観客一同ちょっと驚いてます。我々猟友会のメンバーも呆気に取られてます。
その時、マチューが手にしていた品はと云うと──まさきさんが差し上げた紙袋(プレゼントとカード入りだそうな)でございました。
前日から引っ張った割には実はそんな大きなネタでは無かったりするのだが(←ポカスカ殴る蹴る)、まるで自分が買い物か何かをした荷物みたいにナチュラルに紙袋を提げているマチューが、なんとも自然体で実にかわゆく。妙にツボに入ってしまったのです。
普通、こういう荷物ってマネージャーとかエージェントとか付き人とかに預けるなり持たせるなりするもんなんじゃないの? 自分でずっと持ち歩くかあ?
ああそうか、そういうお取り巻きをぞろぞろと引き連れて歩いたりしないのね、いや実際、そんな人いなかったもんね、あきらかにユーロスペースや日仏学院のスタッフさんしか周囲にはいなかったもんね。そーかー。
そういうところはやっぱり、ハリウッド俳優とかとは違うんだなあとつくづく。…ヴィゴも大抵一人で動いているみたいだから、一概に「ハリウッド俳優は」と決め付けてはいかんかも、だが。
ま、とにかく。マチューはこの水色の紙袋をずっとぶら下げておりましたよ。
あの中にはきっと、他のファンの方から受け取ったプレゼントなども仕舞いこまれたに違いない。まさきさーん、気持ちを込めた甲斐があったね!

さてさて、舞台挨拶と云う名目の実質トークショーの始まり始まりです(ユーロスペースのサイトには「舞台挨拶」と記してあったのだ)。
先ずは日仏学院の方からのご挨拶がありました。フランスの方なのでフランス語でご挨拶するのを通訳さんがぺらぺらっと訳してくれます。そのご挨拶の間も、マチュたちはすぐそこに居るわけなのだが。アンヌ・コルシニがデプレシャン監督とマチューのツーショット写真なぞ撮ってたりするわけなのだが。
そしていよいよ三人が紹介され、スクリーン前の壇上に!
近い、ものごっつ近い…!
椅子の位置だけでももちろん近いのは判っていたんだけど、実際に当人たちが座ると近さ感が際立ちます。可笑しな日本語ですが、ニュアンスはお判りいただけるかと。
ちょっと立ち上がって、一歩足を踏み出して、ふっと手を伸ばしたらマチューに触れる、そんなぐらいに近いんだよ。
真剣に足が震えてきました。私ってそんなに純情だったっけ?ってか、何を緊張してるんだ、わわわーっ!(とまあ、こんな感じに訳が判んなくなっておりました)

コホン。
冷静になって、当日のマチューを描写してみます。
服装はいつもと同じ(苦笑)、もしかしてこれしか持って無いんかい!とつっこみたくなるダークブラウンの別珍のスーツです。ダニエル記事を一個挟んだ下の記事の画像(これは確かカンヌ映画祭)でも着ております。マチュファンにはすっかりお馴染みの衣装です。
インナーはチャコールグレーのシルクっぽい光沢のあるシャツ、第二ボタンまで空けているので、ちょびっとだけ胸毛が見え隠れしてます。あ、胸毛は思ったより薄い感じでした。
足元はダークブラウンのスウェードの靴、やたらと靴紐が長いのが印象的。靴下がちょっとよれた感じなのも、自然体というか生活観があっていいね!
髪は少し切ったらしく短め、ドミニク・グリーンの印象でもっと暗い黒に近い色なのかと思いこんでたんだけど、割と明るめのブラウンヘアでした。

手がね、印象的。そんなに大柄な男性では無いのは皆様ご存知だと思うけど、身体に似合わず(っていうのも失礼か?)、大きくてがっしりとした手です。指も太くて節が高くて、男性的な感じ。で、色が白い。
白人っていうくらいだから当たり前なんだけど、我々黄色人種の色白っていうのとは色素構成が明らかに違っているんだよね。それでもって、関節のところだけほんのり血の色が透けて見える、そんな手です。
後で握手して貰ったんだけど(後述)、温かくて乾いていて少しカサついた手でした。
なんと言うか、生活者の手って、思った。仕事をして、家事もやって、運転したり、本を読んだり、書類をめくったり、そういう「生活」を感じさせる手だなと。

それでもって、お顔なんですが。眼が大きくて印象的なのは画像などで見る通りなんだけど、その視線が強いのに驚いた。あれは癖なのかなあ、人の顔をじっと見詰めるのね。
で、こちらももちろんマチューを見ている、と云うかガン見してるので、眼が合ってしまうのです。そうするとねえ、逸らさないんだよ、マチュー。
だめでした、私。どうしていいか判らなくなって、下を向いたり逸らしたりしてしまう。こういう時に、にっこりと微笑みかけるくらいの根性があればいいんだが、何せチキンハートの持ち主ゆえ、直ぐに逃げてしまうのだ。
眼が合ったとか、気の所為だよって思うでしょ? いやいや、そうじゃないんだよ。明らかに見るの。見詰めるの。
一番最初に眼が合った時は、まだマチューが登壇前で会場の隅にいた時だったんだけど、視線がばっちり合ってしまって二秒くらいそのまんま、思わず気が遠くなりそうになってこちらから眼を逸らしたくらいだから。
何せ最前列に陣取りましたゆえ、その後も何度と無く眼が合いました。ちなみに眼が合った感は私だけじゃなくて、猟友会メンバー揃って言っておりましたので勘違いじゃないと思う。
なんだろう、マチュー的には面白いイキモノでも見つけたような気分だったとか?…有り得る。 

表情がくるくる変ります。割と落ち着き無く、姿勢もしょっちゅう変えます。足を組んだり、ポケットに突っ込んだ手をもぞもぞ動かしたり、デプレシャン監督が話している時なんぞは、全身でデプレシャン監督のほうを向いちゃいます。仲良し感バリバリ。
かーわーいーいー!ラブ (こればっかり)
意外なくらいに、って言うと失礼なんだが、周りに気を使うタイプっぽかった。デプレシャン監督やアンヌ・コルシニに気配りしたり、翌日の日仏学院でのイベントについて気にしてみたり。そういうところは、非常に成熟した大人な雰囲気がある。

可笑しかったのが、デプレシャン監督もマチューも話し出すと止まらなくなるタイプらしく、話が長いのね。しかし、観客のほとんどはフランス語が判らないので、合間に通訳を入れなきゃいけないのです。あまり延々話しちゃうと、通訳さんも困るし、観客も少々困る(私はあまり困らない。だって、その間もずっとマチューを観てるから)。
で、話していないほうは状況が判るので、互いにストップを掛け合うのです。
デプレシャン監督の話が長くなると、マチューがそろそろだよーって顔で監督の顔を覗き込むし、マチューの話が長くなると監督が身振りでストップを掛けて来る。掛けられたほうは、苦笑しつつ「判った、判った」と話を切り上げるのです。
このやりとりがまた、実に可愛くてねえ。
話の内容はかなり高度で深いものでした。今回のイベントの主題であるアラン・レネ監督について、自分とレネ監督の仕事について、映画を作るという作業についてなどなど。後になって、メモを取っておくべきだったと思いついたんだけど、時既に遅し。

アンヌ・コルシニも非常に魅力的な女優さんでした。当日の朝に成田に着いたとかで、ちょっとお疲れ気味だったようなんだけど、明るくてチャーミング。
自分が語る番になると、「座っていると眠くなっちゃう。マチューの話で眠くなっちゃったし」などと言って立ち上がって、壇上を歩きながら話したり。マチューが「学校の先生みたいだ」とか茶化したら、スクリーンを黒板に見立てて、講義中みたいなポーズを取ってみたり。
気取ったところが全く無くて、非常に素敵な女性でした。マチューとも何度も共演しているので、仲が良いっぽいのも微笑ましかったです。

30分の予定だったはずのトークショー。皆がそれぞれ沢山喋ってくれたので、実際には一時間強くらいになっちゃった。その間ずっと、目の前に居るマチューを見詰め続けることが出来たのは、まさに望外の幸せでした。

トークショー終了後、写真とか握手とか、今行ったら拙いよねえ、駄目だよねえ、とオタオタしている内に御一行が退場。出口近くに座っていた人たちが何人かサインをしてもらっているのを、指を咥えて見送りました。
ちなみにこのイベント中、一度も「写真撮影はダメです」とか言われなかったんだよね。カメラチェックも無いし。なので、逆に後ろの方の席に座ってたら、撮影バンバン出来たかも。最前列の私は、彼らが話している間に撮影する度胸がありませんでしたよ…ああ、チキンハート。
だがしかし! ここで休憩が入ったのです。一時間のトークショーになっちゃったから、映画上映スタート前にお手洗い休憩が必要との判断かと。
私も必要に駆られたのですが、ここでふと思い立ちました。もしかして、外の廊下にマチューがまだ居るかも…。
念のためにカメラを引っつかんで席を立ち、廊下に出たところ…
居ました、マチューです!(って、希少動物 見る 発見したみたいに言うな)
数人に囲まれてサインや写真撮影に応えてました。どうしよう、どうしようと思いながらも、一世一代の勇気を振り絞った私。先にマチューを囲んでいた人が退けた瞬間を狙って、マチューに話しかけました。
「フォト、プリーズ!」…なんだよ、その英語はよ。もうちょっとまともな言葉は出てこないのかい、と自分で自分を叱り付けたい。でもさ、舞い上がっちゃったんですもん。
変な日本女が変な英語で唐突に話しかけたにも関わらず、マチューはにっこりと笑ってくれましたよ。
それがこの写真だ!



デジカメの設定の確認もせず、一枚だけシャッターを押しました。
ちゃんと撮れているかどうかの確認も出来ず、と云うか思いつかず、次に私が発した言葉は。
「握手、プリーズ!」…ああ、馬鹿すぎる。既に英語でも無いじゃん。あまりにも自分が愚か過ぎて、穴があったら入りたい。
マチューは若干戸惑い気味でしたが、手を突きつける私の仕草で意図を判ってくれたらしく快く…ではなく多分仕方なく、手を差し出してくれました。
大きくて温かくて乾いた手でした。
その後、メルシーも言えずに90度のお辞儀をした私は、やっぱり骨の髄まで日本人…嗚呼。

熱に浮かされたような気分でふらふらと席に戻り、まさきさんやalexさんに取り急ぎのご報告。
「マチュ、居た! 写真撮った! 握手した!」
斯くして私の生マチュ捕獲作戦は、このように予想外の大成功を収めたのでした。

マチュー・アマルリックに会った日〜その1

    2010.03.22 Monday| 02:42 |
マチューを見たよ!
マチューの写真を撮ったよ!!
マチューと握手してもらったよ!!!


いきなり感嘆符だらけの鬱陶しい文章でゴメンなさい。
何があったかと言えば上記のまんまなんですが、未だ興奮さめやらず、ゼーハーヒーハーしているわたくしです。
まるで夢の中に居るようで、現実感が無いままに浮遊していた一日、それは3月20日の出来事でした。

先日の日記でも触れた通り、只今フランス映画祭が開催中。それでもってなんと、マチュー・アマルリックが来日中です。
来日すること自体はずっと前に教えていただいて知っていたのですが、二月半ばから三月まで諸々修羅場中だったことや、映画祭の詳細情報が公式サイトに上がってくるのが遅かったこともあり、ついついうっかり。気が付いた時にはマチュー出演作「クリスマス・ストーリー」のチケットは完売してしまったのでした。
ふんがー!とばかりに焦っていた矢先、某方…ってか平たく言えば「胃弱風呂」のまさきさんから、渋谷ユーロスペースで開催のフランス映画祭関連イベントにマチュー来場!との情報をいただきまして。
めでたく、そちらのチケットをゲットしたような次第。

前日までにファン仲間(別名:捕チュー猟友会、隊長まさきさん)との綿密(?)な打ち合わせを済ませ、1時半を目安に現地に到着しようと決定。
ちなみに入場は2時45分からなんですが、入り待ちっていうのをしてみようかと。運が良ければもしかして、マチューに接近遭遇出来るかも!との目論みです。

さて当日…私ってば、連休の交通事情を甘くみてました。
自宅から最寄駅までは歩くと15〜17分くらい。体力温存を図りバスを使ったのが間違いでした。
道路混雑でバス来ない&来たら来たで動かない。普通なら5分も掛からないで駅に到着するのに、20分以上も掛かったよ。これなら歩いたほうが全然早かったよ、挙句に急行に乗り遅れ渋谷に着いたら2時を回ってたよ。
遅れた、遅れた、と焦りながらユーロスペースに到着。
建物一階入り口のスペースがロビーになっており、その奥がカフェ、上映会場は二階です。予想に反して入り口周辺には人もあまりおらず、静かな感じ。

さて、先に到着しているはずの猟友会メンバーは何処と辺りをキョロキョロ見回したところ、まさきさんとalexさんが既に待機済み。
そして私がロビーに足を踏み入れた瞬間、まさきさんが私に向かって吹っ飛んできました。
「ひさしぶりー」などと暢気に声を掛ける私。なんだか妙に焦りまくってるまさきさん。何事?といぶかしむ私。
「マチュ、マチューが居る!そこでご飯食べてる!!」
「!」

慌ててカフェの中を覗き込むと…そこでは、夜に可愛いモモンガ じゃなくて、世にも可愛いマチュー・アマルリックがふつーにランチを食している真っ最中でした。
もう、声にならずおたおたする私。大声を上げて騒がなかったことだけは、自分を褒めてやりたい。
声を潜めて、まさきさんに状況説明を求める私。

・まさきさんは早々と1時前には到着していた。
・マチュ、どこから来るのかなあとうろうろ。
・スタッフらしき人発見。
・えっ!まさか!!…デプレシャン監督とマチュ、居るし。立ってるし。


細かな経緯については、多分まさきさんがご自分のブログに書かれることと思うので、そちらをご覧あれ。
とにかく! まさきさんはこの時点で、マチューとのツーショット写真およびサインをゲット、マチューにプレゼントを渡すことに成功していたのでした!
スッゴイ!スッゴイ!と興奮しつつ、ロビーの隅っこに移動。我ら三人プラス、やはりマチューを追っかけていらしてた方と四人で声を殺しながらうきゃうきゃ大騒ぎ。
ご飯食べてる時にあんまりジロジロ見られたらマチューも嫌だろうし、まことにもって失礼だし、必死で自粛したんですが、どうしても我慢できず素知らぬ顔でカフェの入り口付近を横切ってみたりする私たち。
これじゃあストーカーだよねえ、と再び自粛しつつも興奮を抑え切れません。
この日、カフェは関係者の貸切になっていたので、お茶飲みに来たのさ的に中に入るわけにもいかんしねえ。マチューに嫌な思いをさせたり、関係者の方にご迷惑をお掛けしたりなんては絶対にしたく無いし。
ご飯終わってマチューがカフェから出てきたら話しかけてみようかなあ、などと相談していたところ、マチューが立ち上がってカフェの奥を横切りました。すわ何事!と色めき立つ私たち。
マチュ、ランチのおかわりでした。バイキング形式だったらしく、パスタをおもいっきりたっぷり取り分けてます。何だか嬉しそうです。
「これからブログでマチューのことを書く時、おかわり君と書こう!」
などと発言したのは、決して私ではありませぬぞ。
続いてもう一人の男性が立ち上がります。アルノー・デプレシャン監督です。監督もおかわりです。しかもマチューと同じくパスタです。
これからトークショーなのに、そんなに沢山食べて大丈夫?などと、余計な心配をしたりして。
そんなこんなをしている内に、会場でお会いできるだろうと思っていたファン仲間がいらっしゃいました。まさきさんと私で早速経緯とマチューがランチ中であることを説明。皆して興奮。
だって、本当に普通にくつろいでご飯食べてるんだもん。かーわーいーいー。ラブ
その後、カフェのレジのところにやってきて店員さんと何事か話してるマチュー。何か思ったら、煙草を買いに来ていたのでした。ちなみに、欲しかった煙草はマルボロらしかった。

とまあ、こんなところで我々はタイムアウト。既に2時45分、上階の会場に移らねばなりません。
「マチュー、結局カフェから出てこなかったねえ」
「私たちのことは認識してたみたいだけどねえ」
「でもまあ、まさきさんがツーショット撮れただけでも良かったよね」
などと口々に言いながら、会場へ。
入場は整理番号順です。私たちは50番台の後ろのほうだったので、それほど良い席は望めないだろうなって思いながら会場へ入ると…一番前が空いてるではないか!
ユーロスペースは150席弱の狭いスペースなので、一番前の席は映画を観る上では非常に具合が悪いのです。スクリーンがほとんど目の前状態、ずっと見上げてなきゃならないので首が痛くなる、そのぐらいに席とスクリーンとの距離が近い。
でもね。ここでもう一度思い返してみてくださいませ。
今日はただの上映会には非ず。アルノー・デプレシャン監督とマチュー・アマルリック、それとアンヌ・コルシニの舞台挨拶付きなのです! スクリーンの前には既にマイクと椅子がセットしてあるし!!
迷わず、一番前の席の中央部に陣取る私たち。

何故ー、どうしてこんな席が空いてるのー?と一瞬不思議に思いました。
「アラトリステ」試写会の際にはヴィゴが来るってほとんど確信的な噂が立っていた所為で、見事なまでに前方から席が埋まったし、ヒュー・ジャックマンの「ウルヴァリン」試写会の際も、熱心なファンは必死で前方席ゲットを狙ってましたからねえ。
でも、よくよく考えてみたら、このイベントの本来の目的は「アラン・レネ監督作品上映」です。
マチューにそれほど想い入れがある訳じゃなく、アラン・レネ監督作品を観たい!と思って来場した方なら、映画が観易い席を真ん中から後方の席を確保するのは当然かなと。
私たちのようなマチュー目当ての不純な客より、そちらのお客様のほうがはるかに真っ当な訳です。ハイ、ゴメンなさい。

し、しかし、それにしても近い。私たちが座した一番前の席と、スクリーン前のゲスト席との距離はどうだろう、二メートルまでは無かったんじゃないかなあ。
一歩、二歩、そのくらい歩いたら手が届く、そんな距離感です。
「有り得ない近さだよね…」
「うん…どうしよう、緊張してきた」
私、マジで足が震えてました。ただ席に座って、前方に居るマチューたちのお話を聞くだけだっていうのに、馬鹿だねえ。
さて、時間です。我々が入場したのと同じ扉からスタッフが入ってきて、続いてマチュ御一行が入場。舞台袖とかは無いのだ。普通に通路を歩いてくる御一行、ほぼ満席の会場にざわめきが広がります。
そしてその時、マチューが手にしていたのは、なんと!



この項、明日へと続く!(←殴)

今日はマチューのお誕生日!

    2009.10.25 Sunday| 23:45 |
10月25日は「007/慰めの報酬」ドミニク・グリーンこと、マチュー・アマルリックの44回目のお誕生日です! ドンドン、パフパフ〜♪ おめでとう、マチュー!
拍手 ケーキ2 ラッキー 拍手 ケーキ2 ラッキー 拍手 ケーキ2 ラッキー 拍手 ケーキ2 ラッキー 拍手 ケーキ2 ラッキー 拍手 ケーキ2 ラッキー

あ、間違えた…って、物凄い確信犯でスマン。
餌箱に顔を突っ込みつつ上目遣いでこちらを見ているのは、多摩動物公園のフクロモモンガ君です。夜行性なのでフラッシュ焚いたら可哀想。フラッシュ無しでムリクリ撮影したら、こんな画像になっちゃったい。
マチューと関係無いだろうって? いや、ほら、ちっこくて可愛いところがそっくりじゃないか!



ほらね、似てる。くりくりしたお眼目とか、そっくり。
マチュ、アンタね、自分のこと可愛いって知ってるでしょ? 判っててそのポーズやってるでしょ?と追求したくなる、必殺の上目遣い&猫手ポーズ。
そうそう、猫手と云えば、こんな画像もありまする。



…マチュじゃないじゃん。そうだそうだ、このコは「ライラの冒険」のアスリエル卿のダイモンだよね…違ーうっ!
同じく多摩動物公園で撮影したユキヒョウです。実は女のコ。



マチューを猫で表現するならこんな感じではないかと常々思っているのだが、いかがでしょう?
黒ジャケットに白シャツを着込んだマチューの画像を見る度に、ついつい連想してしまうのです。



やっぱり似てる。お隣は何度も共演している、エマニュエル・ドゥヴォス。
そう云えば彼女、先だって公開された「ココ・アヴァン・シャネル」に出演しておりましたねえ。
この映画が先に公開されたお陰で、マッツの「シャネル&ストラヴィンスキー」公開が来年にずれ込んだに違いない!…と、少々お門違いのところでプンスカしてみたりして。

えーと、閑話休題。
マチュ小動物説、マチュ可愛いぞ説には100%同意!と力強く頷いてくださる方がいる反面(少なくとも私の周囲には多数!)、「…どこいらへんが?」と疑問に思う方がいらっしゃるのはわたくしも重々承知の介。
じゃあね、じゃあね、この画像はいかが?



まだワカゾーなマチュです。ワカゾーマチュは真剣に可愛い。映画の中でも大抵、大層可愛がられております。いろんな意味で。



髭でも可愛い。
モモンガだって猫だって髭は生えてるしね! 髭の有無で可愛さが減じることは無いというのは、ヴィゴの先例もございます。
ところでこの画像のマチューって、もしかして女の子座りしてるのかしらねえ?



モモンガだかニャンコだかが、ユキヒョウだかクロヒョウだかに挑みかかっております。
勝てる雰囲気、まるでナッシング。フンギャー!

おちゃらけた記事ではありますが、可愛らしさの中に底知れない凄みを感じさせるマチュー、真摯に映画作品と演技に向き合っているマチューが大好きです。
「監督業に専念する」なんて発言をよくしているようだけど、これからも演技者としてのマチューを見ていたいなあ、と云うのがファンとしての願い。
44歳になったマチューの次なる一年がより良い日々でありますよう心から祈りつつ、出演作が一本でも多く日本で公開されることを願ってます。



既に懐かしさすら感じる、慰め四人組(その表現ヤメレ)の揃い踏み。



多摩動物公園で撮影したチーターのカルテット。可愛さではどっちも負けてない。

ドミニク・グリーンは小粒か否か〜「007/慰めの報酬」その2

    2009.02.11 Wednesday| 23:57 |
先週の土曜日に三回目を観て来ました。
以前の記事で触れましたが、109シネマズ港北がポイントカード会員限定いつでも1000円!と云う企画をやっているのです。
ウチからだと電車の乗り継ぎ無しでは行けない場所なので、映画を一本観るだけだと交通費を考えたらまるで意味が無い。でもね、一日に二本観る、しかも二人分!と考えたら一般鑑賞券との差額800円×4=3200円も違うではないか!!これはかなり大きい。
と云うことで、土曜日は「20世紀少年・第二章〜最後の希望」と「007/慰めの報酬」の二本をハシゴしたような次第。
「20世紀少年」は第一章を夏に観ちゃったので、今更後に引けなくなったのです。感想は…その内、気が向いたら書こうかな。って、夏に観た第一章もそう云ってまだ書いてないのですが。

上映するシアターは116席とかなりこじんまり、スクリーンも小さい。しかも、上映開始時点で4割くらいしか座席が埋まっとりません。
場所柄考えても思いっきりファミリー向けのシネコンだからねえ、しょうがないのかもしれないけど、ちょっぴりしょぼん。
ちなみに「20世紀少年」はここで一番大きいシアターでの上映でした。
半分強の入りでしたが当然ながらお子様が多く、そしてそのお子様方の半分は映画の途中で飽きてましたね、明らかに。

とまあ、そんなことは置いといて、「慰めの報酬」です。
三回目の鑑賞ともなると流石に眼が慣れてきたのか、最初に観た時は眼が追いつかなかったアクションシーンにもかなり付いていけるようになりました。
でもやっぱり、イタリア・シエナでの内通者ミッチェルとの格闘シーンはちょいとばかり観難い。ミッチェルとボンドの体格や髪型、服装など雰囲気が割と近いこともあって、めっちゃくちゃ早いアクションの途中でどっちがどっちだか判らなくなる瞬間があったり。
前回の記事でも書いたけどカット割が細かすぎるのと、カメラが寄り過ぎアップ多用し過ぎというのが問題かと。スタントマンとダニエルとの(もちろんミッチェル役の俳優さんも)渾身のアクションだろうに、実に勿体無い。
競馬場の喧騒や賑わう街中の様子と、ボンドらの壮絶な格闘シーンが何度も繰り返し切り替わると云う演出。人々が浮かれ騒ぐ祝祭の裏側に潜む陰謀や悲劇を印象的に描くための演出だと思うんだけど、オペラハウスのシーンで全く同じ手法が使われるのは、少々しつこい、またはワンパターンな感が否めないかも。
やはりフォースター監督に、はアクション映画は多少荷が重かったのかしらねえ…。
ダニエルは身のこなしがシャープなので、ちょっとした動作の中に十分アクションスピリットを感じさせられる俳優なんだよね。これも前回書いたけど、ボリビアのホテルでMI6の同僚たちから逃げるシーンはそれほどハードな動きって訳じゃないのに、しなやかで見事なアクションシーンになっていたもの。
無理してハード&スピーディなアクションを詰め込まず、監督お得意の人間ドラマの部分をもっと強調して良かったんじゃないかなあ。

さて、今日の本題はと云いますと、「ドミニク・グリーンは果たして小粒な悪役か?」です。
欧米での公開前、詳細なストーリーがまだ伝わってこなかった頃、仲間内で冗談のように言い合っていたのが「ちっちゃいけど巨悪」と云う言葉。
もちろん、マチュー・アマルリック演じるドミニク・グリーンを指しております。
皆様ご存知の通り、マチューは欧米人としてはかなり小柄。IMDbのデータによりますと、5フィート6インチ(168センチ)だそうな。実際、他の映画で見てもマチューはやっぱり小さい。
意外に(?)ラブシーンも多い俳優ですが、大抵相手役の女優のほうが大きいし、大抵の場合、相手役に押し倒されてる!
昨年日本でも公開された「潜水服は蝶の夢を見る」でも判る通り、現在のフランス映画界を代表する演技派の一人であるマチュー。
「ミュンヘン」で見せたような掴みどころの無いキャラクターも見事に演じきる俳優なのですが、小柄な体格とくりくりっとした大きな眼の所為か、どこか小動物のような可愛らしさが常にあるのですよね(←思いっきりファン目線です。ご容赦)。
そんなマチューが007の悪役、しかも「カジノ・ロワイヤル」の悪役ル・シッフルの上役(厳密には違うけど、立場的には大体そんな感じだよね)だなんて…
なんて興味深いの!なんて面白そうなの!
と云う期待と愛情を篭めた茶化しが「ちっちゃいけど巨悪」だった訳です。


ぎょろ眼のグリンちゃん 猫

実際に観た「慰めの報酬」において、グリンちゃんは「巨悪」ではなかったことが判明。
組織内の実力者であるのは間違いないけれども、例えば一般の会社だとしたら〇〇事業部の部長とか子会社の社長とかそんな立場だと思われます。
ちなみにル・シッフルはと云うと、胃弱風呂のまさきさん曰く「下請け会社の社長」みたいなもんかと(←あまりにも言い得て妙なので引用させていただきました。まさきさん、ごめん)。
秘密兵器で世界を恐怖のどん底に!狙うぜ世界征服!こそが悪役だった古き良き時代の映画基準から云えば、悪の組織を企業に例えて形容出来ちゃう時点でちっちゃいと云えばちっちゃい、みみっちいと云えばみみっちいのかもしれない。
しかし現代人的感覚から言えば、ドミニク・グリーンらが成そうとしていた悪事──天然資源を押さえ、裏から権力を掌握して世界を操ろうとする陰謀──のほうが余程リアルな恐ろしさがあると思うのですよ。
前作カジノ・ロワイヤルでル・シッフルを演じたマッツが言った言葉「現代の悪人は世界征服なんて目指さない」(ゴメン、うろ覚えです)しかり、今回の「慰めの報酬」で監督やマチュー自身による「現代では善悪の境界が曖昧で、誰が悪者なのか判らない」、「誰が悪人なのか見た目で推測することは難しい」と云った発言しかり。
世界征服を企む古典的悪人像は、現代社会においては既に非現実的な古代妄想狂でしかない。本当の悪、真の恐怖は、ごく普通の穏やかそうに見える人物の中に潜んでいるという恐怖。
マチューの演じたドミニク・グリーンは、悪事を成すことについての熱心さと行動力はまるで企業戦士のよう。そしてその迷いの無い残酷さは、蝶の羽根をむしって遊ぶ子供のよう。
人々を陥れること、騙すこと、搾取すること、貧困と死の淵に追いやること、その命まで取り上げることについて、ドミニク・グリーンは躊躇が無い。
一見して悪人には見えないその風貌の中に隠されている、徹底した悪へと向かう精神の空恐ろしさ。愛嬌のある顔立ちと小柄な体格ゆえにむしろ、いかにもな悪人面の悪者たちよりよほど性質が悪くて不気味な存在だと思うのです。
もしかすると彼は、自分が悪であるという認識すら薄いのかもしれない。
ボンドに追い詰められ、命を助けるという約束の元に組織のアレコレを喋ったらしいドミニク・グリーン。あんな風にフィールズを惨殺した彼をボンドが許すはずなぞ無いのに、例え選択肢がそれしか無かったとは言えあっさりと持てる情報を吐き出す道を選んだ、その安易さもまた薄気味悪い。
彼は自分がボンドに対して仕掛けた様々な策謀はもちろんのこと、世界に対して成そうとした悪事のあれこれが如何におぞましいものであったかを理解していない、いや、理解する気がそもそも全く無いのだと思う。
小粒?とんでもない。マチューは、ちょっと見はそう思われるよう敢えて演じていただけ。
あの大きな瞳の中には おぞましい狂気研ぎ澄まされた知性幼子の稚気悪魔の邪気とが同時に浮かんでおりました。

…とまあ、レビューと云うよりは若干空想じみて来たような気がしないでもない。と云うより物凄く妄想が入ってきたのでこの辺で自粛しようかと思うのですが、それにしてもこのマチュー・アマルリック演じるところのドミニク・グリーンがある意味007シリーズ史上に残る悪役だったことだけは間違いない。
そのあまりにも悪役らしく無い風貌と、それに相反したリアリティのある悪行三昧。
そして、アクション映画の悪役だと言うのに、肉体的にはこれっぽっちの強靭さも持ち合わせていないという点もまたしかり。
カジロワのひ弱な(反政府ゲリラに脅されてプルプルしてた)ルーさんでさえ、肉体的にボンドを痛めつけるシーンがあったと云うのにねえ。まあ、あん時はボンドが縛られてたんで止むを得ず無抵抗だった事情がある訳ですが。
終盤、ボンドとグリンちゃんの対決シーンはまさにキャットファイト。
「寄るなー!触るなー!近寄るなー!ふんぎゃー!ぎゃおーす!」
今度こそは殺しちゃいけない、生きたまま捕まえなきゃ(って、どこの野生動物?)と考えていたであろうボンド、さぞや困ったでしょう。実際、苦労してたもんね。
まあ、そんなこんなのうちに持ちなれない凶器を振り回したグリンちゃん、爪先ぐっさり刺しちゃった。再び「ふんぎゃー!!」
ああ、もう、可愛いったら無いね!…脳みそ発酵してて済みません。
この対決シーン、悪役があまりにも弱っちくて可愛いという意味でこれまた007史上に残るシーンだと思います。うん、滅多に無いよ多分。

と云うことで次回は、「二箇所のミスリード〜私はこう解釈した!」を予定。
って、ブログ記事でまで連載すんなってーの、私。



キスされてる 抱擁 マチュー(「してる」んじゃなくて「されてる」よね。明らかに)。


襲われてる パクッ マチュー(いや、たぶん同意の上ですが。立ち位置が普通と逆だよ)。


可愛いこぶりっこ ラブ マチュー。
カンヌ映画祭にて、何度も共演しているエマニュエル・ドゥヴォスと一緒。

彷徨うのはだあれ?〜「溺れゆく女」

    2008.04.26 Saturday| 23:05 |
更新頻度が上がらず、どうも週一更新の癖が付いちゃってます。イカンなあ。
サイトでもあるまいし、ブログなんだから毎日書けよ、せめて数日置きに書けよと、自分を叱咤するわたくし。
ふと気付いたら、ブログ開設一周年もあっさりスルーしちゃってたよ…。ちなみに4/22でございます。早いなあ、一年経つの。
ヨタヨタしながら更新頻度を落としながらも一年続いた、めでたいぞ、と云うことで、本日より更新頻度強化週間をスタートすることにいたしました。
よし、言ったぞ書いたぞ。自分にプレッシャー

さて。先日の記事にも書きました通り、管理人は現在、絶賛マチュー祭り開催中。
2007年の「潜水服は蝶の夢を見る」を皮切りに、2005年の「ミュンヘン」、2004年の「キングス&クイーン」と時代を遡るように鑑賞し、続いては1998年の出演作でございます。
ネタバレあるよ。気をつけて。



「溺れゆく女」(1998年、フランス)

私生児として生まれ母と暮らしていたマルタンは、10歳の時、息子に経済的安定と良い環境を与えたいという母の意向で、実父に引き取られることとなった。地方の名士であり家庭内では絶対権力を振るう家長である父の下、マルタン(アレックス・ロレ)は成長し20歳となる。
父の突然の死をきっかけに家を飛び出したマルタンは、放浪の末、唯一気の合う兄弟であった兄バンジャマン(マチュー・アマルリック)が住むパリのアバートに身を寄せることとなった。役者志望で同性愛者のバンジャマンは、売れないヴァイオリニストのアリス(ジュリエット・ビノシュ)と同居しており、やがてマルタンはアリスに想いを寄せるようになる。モデルとして生計を立てるようになったマルタンはすっかり売れっ子になるが、家出の理由を決して説明しようとしない彼は何かの秘密を抱え込んでいるらしい。アリスが妊娠したことがきっかけでマルタンは極度の心神喪失状態になり、モデルの仕事も立ち行かなくなってしまう。
実はマルタンは長兄の自殺をきっかけに父と激しく口論し、挙句の果てに父を階段から突き落として殺してしまったのだった。マルタンは自らが裁かれることを望んでいた。アリスはマルタンの家族を訪ね、真実を明らかにするよう証言を依頼する。マルタンは警察に赴き事件を告白、アリスはお腹の中の子供と共にマルタンを待つ決意をする…。


先ずは一言。邦題が悪い。
古めかしいし、内容にも全くそぐわない。邦題を付けた配給会社の意図としては多分、年上の女と青年の昔ながらの恋愛譚をイメージしたんだと思う。成熟した女性が年若い青年の情熱に引っ張られた挙句、恋に溺れて全てを失ってゆく、みたいな。
でもねえ、このお話ってちょっと違うんだよねえ。二人の恋愛がマルタンの一方的な情熱から始まり、アリスがそれに絆されたことで発展したっていうのは確かなんだけど、アリスという女性はマルタンとの恋愛に溺れて自らを見失うような、そんなか弱い女性じゃないのです。
モデルとして成功し傲慢になってゆくマルタンを見守り、時に嗜める。妊娠を告げたことで茫然自失となり鬱状態となったマルタンを支え、罪を告白し、父殺しを裁かれることを望むマルタンの願いを叶えるべく奔走する。
人生と自らの罪に溺れアップアップしてるのはむしろマルタンのほうで、アリスは溺れて沈みかけているマルタンを必死で引き上げようとしているのです。
ちなみに本来の題名は「Alice et Martin」です。
「アリスとマルタン」、このほうが全然良くないか?シンプルだけど内容を端的に表してるし、音の響きも綺麗だし、何より判りやすい。
どうも、日本の映画配給会社やDVD製作販売会社って、言葉選びのセンスが無いように思います。

ヒロイン、アリスを演じたのはジュリエット・ビノシュ。
彼女については「ショコラ」ぐらいしか観てないのですが、非常に達者な女優さんなんだろうなとは思う。バンジャミンに向ける微妙な感情、最初はむしろ迷惑にすら思っていたマルタンの恋情に絆され恋愛関係に至る感情の変遷を繊細に演じていた。
実は、アリスがマルタンに対して真の愛情を持つきっかけというのが物語の中では曖昧なんですね。ジュリエット・ビノシュの演技力一本で説得されると言うか、誤魔化されると言うか。
ただ…ちょっとオバさんっぽくないか?
もともとの顔立ちもあるし、マルタンとの年齢差っていうのもあるんだけど、妙に老けて見える。物語の途中からは行動も容姿もむしろお母さんみたいなんだよね。その分、マルタンに対しての愛情の深さはよく伝わってきましたが。まあ、これも、女優の力技ってことなのかもしれない。

映画のジャンル分けだと、サスペンスまたはロマンスの範疇に入るらしい。
うーん。サスペンスねえ…。確かにマルタンが隠していた秘密やその謎が解き明かされる過程の描写があるにはあるけど、サスペンスっていうほどのもんじゃない。物語の主眼はそこには無いし。
抑圧されて育ち、トラウマを抱えた青年が、愛されることを知り真実と向き合う強さを得て、自分を解放させる物語。
他人と真摯な関係性を築けないまま生きてきた一人の女性が、人を愛し守ることを知って、人として成長する物語。
むしろ、サスペンス的な要素はスパイス程度、ロマンスはアリスとマルタンの関係性を築くための手段であり、この映画はむしろ、未熟な人間が足掻き苦しみながらも成長していく姿を描いたヒューマンドラマと言えると思います。

途中まで、マルタンがどうにも気に入らなくて、眉間に皺を作りながら観ていたのです。
過去が段々と明らかになってくるまでは、マルタンが考え無しで無軌道で妙に自己主張が強くて無神経な存在に見えてしまったものだから。自分で云うのもなんですがわたくし常識人なもので、こういうキャラクターが自由奔放に自分勝手な行動を取るっていう展開が非常に苦手なのです。甘えてんじゃねーよ(怒)!と思ってしまう。
ところが物語が進むにつれ、彼が非常に可哀相な生い立ちの青年だって云うのが判ってくるんですね。
マルタンは実の母に見捨てられ、厳格で粗暴な父親には愛されずに育ったと思い込んでいます。
本当は彼の母は深い愛情から彼を手放したんだし、父もマルタンに対して愛情は持っていた。ただ、彼らの愛はとても判りにくくて、子供だったマルタンには伝わらなかった。
義理の母と腹違いの兄たちに囲まれ、マルタンは常に「良い子」であろうと自分を律し続けたものの、遂にその心は破綻して父を階段から突き落としてしまう。
そう、これはアダルトチルドレンの物語でもあります。
暗い部屋の片隅で膝を抱え泣いている小さな子供。愛を求め愛を得られずに泣き叫ぶ永遠の子供、哀れなその姿こそ、このマルタンという青年の真実の姿でした。

ただねえ、それが判ってきても、マルタンの行動に振り回されるお兄ちゃん(バンジャマン=マチュ)は可哀相だったなあ。
いや、このお兄ちゃんも実は結構困ったキャラなんだけど、腹違いの弟であるマルタンにはちゃんと愛情を持って接していたのですよ。マルタンもそれは判っていたから出奔して兄を頼った訳なんだけど、その行動や言動によって兄のプライドを傷つけてしまう。
バンジャマンは同性愛者で、同居しているアリスとは友人以上恋人未満の間柄。性的関係は無いものの、同じベッドで眠ったりする程度には近しい仲だったのだけれども、そこにマルタンが割り込むことでバンジャマンとアリスの関係性は崩れてしまう。
アリスはアリスでバンジャマンに対し、ある種の恋愛感情を持っていたのではないかと思う。そこに性愛は存在せず、むしろ同士愛に近い愛情かもしれないけれど、単なる友人という範疇には納まらない程度の感情のたかぶりはあったのではないかなあ。
アリスもその時々で恋人は居るんだけど、長続きはしない。バンジャマンは次々と相手を変え奔放な恋愛を繰り返している。それに対してアリスは、嫉妬交じりの微妙な感情を抱いていたのではないかしら。
売れない音楽家であるアリスにしてみれば、人生も恋愛も上手く行かず袋小路に嵌っている時に、突然転がり込んできたマルタンがひたすらに愛を叫ぶのだから、そりゃあ絆されちゃうよね。
そして、アリスとマルタンが恋愛関係になってしまったことで、居場所を無くし傷つくバンジャマンはね…可憐でした。捨てられた子犬みたいな眼をするのですよ、バンジャマン=マチューったら。
愛を信じられないのはマルタンだけではなく、多分、バンジャマンもそうなんだよね。
同性愛者であること、役者志望であることから、父や長兄から疎まれているバンジャマンは、奔放で刹那的な恋愛を繰り返しています。
多分、本人としては意識してはいないのだろうけれども、愛されないこと、もしくは愛されていることを実感できないことが、彼の足元を脆く危ういものとしている。
一夜の相手に暴力を振るわれ怪我をした挙句アリスに説教される姿は頼りなくも愛おしく、アリスと連れ立って訪れたクラブで、居合わせた男友達と抱き合ってキスを交わす姿は淫蕩でありながらも切ない。
無意識のまま愛を求めて彷徨うバンジャマンは、放っておけないような独特の魅力を発していました。まあ、要するに、マチューは可愛い(←結論は常にそこに行き着くらしいよ?)。


ジュリエット・ビノシェより断然ちっちゃいマチュー。
ちなみに、弟であるマルタンとは頭一つ近くサイズが違うんだよ!それで、ムギュッとハグしたりされたりするんだよ!可愛いったらないよ!!

「キングス&クイーン」その2〜愛しきダメ男

    2008.04.19 Saturday| 23:02 |
うっかり、すっかり、間が開いてしまいましたが、「キングス&クイーン」の続きでございます。
その1では、ヒロインのノラ・コトレルという女性が如何に捻くれて捻じ曲がって恐ろしく、それでいて哀しい女性であったかを延々と書き連ねてしまいました。感情が昂ぶりすぎて言葉が足りず、文章が破綻気味で申し訳無い。
どうにも苦手で嫌いなのに眼が離せなくなる、これってやっぱり怖いもの見たさ?と云うのがノラ・コトレルという女性だった訳ですが、さて、これからが本番です。
この映画を見る上での主目的、わたくし的肝心要であるイスマエルってば。

可 愛 す ぎ て 眼 が 離 せ ま せ ん !

初登場シーンで、イスマエルはいきなり拉致られます。
アパルトマンを訪ねてきた屈強な男二人組。彼らはイスマエルを精神病院へ収監すべくやってきた訳なのですが、ここで何とかして彼らの魔手(では無いんだけど、イスマエル的にはそう見えるであろうということで)から逃れるべく、眼を泳がせながらも言い訳したり誤魔化そうとするイスマエルの様子がね、もう、既に可愛いんだよね。
いくら言い逃れしようとも二人組は諦めず、イスマエルはあっさりと取り押さえられ病院に運ばれてしまいます。
何せチビっこいからねえ、屈強な二人(マチューとの対比で余計に大きく見える)に掛かったら、超簡単…かと思いきや、反撃して相手に怪我を負わせたりするんだけど。
窮鼠、猫を噛むの実写版です。
ああ、なんて楽しいの!てれちゃう


余談ですが、今月号の「Movie Star」によりますと、007次回作「クォンタム・オブ・ソラス」におきまして、マチュー演じるところのドミニク・グリーンは、ジェームズ・ボンドのことを引掻いたり噛み付いたりするらしいよ?
マチュー本人の言とのことなんだけど、闘いのプロでは無いドミニク(そりゃあ、マチューが演じるんだからね。そうでしょうとも)を相手に、ボンドは手こずりまくるらしい。ドミニクが引掻いたり噛み付いたりしてくるもんだから、ボンドはどう対処して良いか困っちゃうんだって!
あー、そのシーン、何か目に浮かぶなあ。うっふっふっふっふ…(←管理人妄想中)。
小さい囲み記事の割には非常に美味しい内容なのですが、しかもその記事の締め方が凄くてね。「獣のように熱く絡み合う」とか書いてあるんだよ!
マジ、ホント。嘘だと思ったら、書店へGO!
この記事を書いた記者さん、脳内構造が管理人と近いものがあるのではなどと、暫し考え込みましたよ。
ハイ、また話があさっての方向にすっ飛んでってますよ?戻ってこーい、私!


と云うことで、閑話休題。
まあ、そんなこんなで結局は収監されてしまったイスマエル。自由奔放な生活を送り素っ頓狂な行動を取っているのは確かで身に覚えは山ほどあるし、精神分析医にも通っているイスマエルだけど、精神病として強制拘束されるような覚えは無い。
友人でもある弁護士と連絡を取り病院側と話し合いをした結果、どうやら、身内の誰かがイスマエルを精神病院に収監するよう、法的処置を取ったらしい。
混乱するイスマエルですが、病院の中ではそれなりに上手く立ち回り、女性看護士や入院患者の女の子とよろしくしてみたりします。と云うか、口説かれてます。
何がどこまで本気なんだか言動からも行動からも非常に判りにくいイスマエルなのですが、病院まで訪ねてきたノラが息子エリアスを養子にしろと一方的に迫ってきた時は、真摯な態度でその要望を拒否します。その時の態度や表情には、イスマエルの心の奥底にある柔らかくて繊細な部分が垣間見えるのです。
イスマエルは中途半端な優しさや行動によって時に人の心を傷つけたりもするんだけど、それによってより深く自分自身が傷ついてしまう。
エキセントリックな言動や行動の影に、繊細で脆い心を押し隠しているイスマエル。

顧問弁護士の調査により、イスマエルを強制入院させた張本人は、実姉であることが判ります。
この姉は売れない陶芸家なんだけど、これがまた実に嫌な女なんだよね。
イスマエルが勧めたから陶芸の道を目指したけれどれダメだった(ちなみに当時イスマエルは8歳。子供の言を真に受けるなよ…)、私の今の不幸や全部アンタの所為だ。それなのにアンタだけは自由に能天気に暮らしている。アンタが憎い。嫌い…と、被害者意識で凝り固まった女。
近親憎悪の典型例でもある。イスマエルはひたすらに困惑するのだけれども、これと非常に似た情景をどこかで観たよ?
そう、ノラとノラの父親の関係。愛されていると信じていたノラを、悪罵を書き連ねた遺書で絶望の淵に付き落した父。
この映画は、ごく身近な存在、愛し合い労わりあってしかるべき人間関係の狭間をいつの間にか埋め尽くしていた憎しみ、その凄まじさをこれでもかと見せ付けてきます。

すったもんだの挙句、ようやっと退院が許可されたイスマエルだったのだけれども、所属している楽団からは首を言い渡されてしまいます。
実は、イスマエルの強制入院を画策したのは、長い付き合いのある同じ楽団のヴァイオリン奏者でした。
密かにノラに思慕を抱いていた彼は、イスマエルとノラが別れた理由の全てをイスマエルにあると決め付け、イスマエルがノラを不幸にしたと信じていたのです。
ノラを不幸にしたイスマエル、才能に溢れるイスマエル、誰からも愛されるイスマエルを憎み何とか追い落とそうとした結果が、イスマエルの姉を巻き込んでの強制入院措置。
彼の画策通りイスマエルは楽団から追われ、愛用していたヴィオラも取り上げられてしまう。
ここのイスマエルは実に可哀相でした。仲間に裏切られただけでなく、長い間、憎まれ嫌われていたという事実に打ちのめされ、そして、彼の心の拠り所、プライドそのものであるヴィオラ奏者として立場を取り上げられてしまうんだもん。
冷静に考えれば、イスマエルの脇が甘かった、そう言うことなんだよね。
ヴァイオリン奏者の彼がどんなにイスマエルを憎もうとも、イスマエルが足元をすくわれるような行動を取ることさえなければ(実際には取りまくってるんだけどね)、このような事態には陥らなかったのだから。
でもね、ほら、何せこの時点でわたくしってば、イスマエル=マチュー可愛い視点で全てを観ておりますので、イスマエル可哀相ー!このヴァイオリン奏者憎ったらしいー!でも、イスマエルの落ち込みまくる姿ってば、雨に濡れて震えてる子猫みたいでそれはそれで愛おしいー!などと考えているわけで…(自粛)。

さて。ヴィオラを弾く以外にたつきの道などありそうに無いイスマエル。
再びヴィオラ奏者として活動するには、何はさておき楽器が必要。昔使っていたヴィオラが実家の物置に仕舞ってあることを思い出したイスマエルは、やおら、田舎の両親の元へ出向きます。
独りよがりで嫌な人間ばかりが次から次へと登場してくる映画なのだけれども、このイスマエルの両親だけは、一服の清涼剤のような存在でした。
田舎で小さな雑貨店を営んでいる両親は、何人もの子供達を育て上げ、それだけでなく、不幸な生い立ちの青年を養子に取ろうと考えています。
イスマエル以外の兄弟(例の姉を含む)は、遺産が減るという判りやすい理由で養子には大反対なんだけど、自分達の都合しか考えない子供達の反対なぞで、両親の気持ちは決して揺るがない。
そんな折、父とイスマエルが店番をしているところにやってきた三人の若者が、銃を振りかざし金を出すよう脅してきます。ところがどっこい、長年、自営業を営んでいる海千山千の父はそんな若造の脅しなんぞに怯んだりしないんだよね。
あっさり一人を叩きのめして銃を奪い、後の二人には、彼らがいかに無駄で馬鹿馬鹿しい行為をしているかを冷静に諭し、彼らを撃退してしまうのです。ビッグファットパパ、実に格好良いです。
ちなみにイスマエルは、パパの指示通りに銃を拾ったり隠れたり。怪我が無くて良かったね。
その後、パパに連れられてアスレチックジムにやってきたイスマエル。パパは筋肉を見せ付けつつ軽々とトレーニングマシーンを操るんだけど、イスマエルってば、マシーンに取り付いてジタバタと奮闘はするものの、ちっとも動かせない。
か、可愛い。まるで小動物のようです。
あ、もうお忘れかもしれませんが、この映画一応コメディらしいんですよ。一応ね。で、貴重とも言えるコメディっぽいシーンの一つがここで、ここだけは本当に可笑しかったよ。
忘れちゃいけない、マチュー必殺の「パパー」攻撃も出たよ!(3/31付け、萌え視点で観る「ミュンヘン」、参照のこと)

両親と養子となる青年に見送られ、ヴィオラを抱えてパリに戻るイスマエル。物語中盤までのエキセントリックなイスマエルとは一転した、穏やかで落ち着いた様子が伺えます。
人の悪意に晒され、混乱し、絶望し、そして、地に根ざしつつ愛情と誠意を持って人生を歩んできた両親の姿に何かを感じ受け止めて、イスマエルは少しだけ自分自身を取り戻したのかもしれない。
再びヴィオラ奏者としての活動を開始したイスマエルは、エリアスと再会します。
美術館の中を手を繋いで歩きながら、エリアスと話すイスマエル。

一度はエリアスを養子にしようと決心したけれど、それはやめた。でもそれは、僕がエリアスを愛していないからでは決してない。
僕の人生で自慢できることはエリアスと出逢ったことだし、何か困ったら君はいつでも僕を頼ってきていい。
そして、君はいつも自分自身を正しいと信じて生きろ。間違えても良いから、正解じゃなくても良いから、自分を信じて生きろ。

まるで本当の父親のように、深い愛情を持ってエリアスに語りかけるイスマエル。
何事にも本気になれず、自分自身に良い訳をしながらふらふらと根無し草のようだったイスマエルは、既に其処には居ませんでした。


イスマエルとエリアス。まるで本当の親子のようだった。
マチューは「パパー」って言うのも似合うけど、パパ役も似合う。


どなたにもお薦めできる映画では決してありません。
ヒューマニティ溢れる感動作なんかじゃないし、むしろ、もどかしかったり苛立たしかったりするエピソードばかりの2時間半と言えます。
でもこの作品には、人間の悪意だけでなくそれと相反する煌めくような美しき善き心も密かに散りばめられ、悲しみと喜びと楽しみと生と死が描かれています。
まるで人生そのもののよう、複雑で単純で曖昧で矛盾だらけなその有様ゆえ、魅きつけられ目が離せなくなる150分間でした。


「キングス&クイーン」その1〜愛を求め彷徨う異形

    2008.04.12 Saturday| 23:08 |
4月に入り007最新作「Quantum of Solace」QOS撮影がらみのニュースが頻繁に流れるようになったことから、マチュー・アマルリックの名前を眼にする機会も滅法増えて参りました。
「潜水服は蝶の夢を見る」で気になる存在となり、先日の「ミュンヘン」再見ですっかりお気に入りとなったマチュー。それでは、そろそろお祭り開始の頃合いかしら?
残念ながら、現在日本で観ることの出来るマチュー出演作はごく限られているのだけれども、幸運にも何作かをレンタルで見つけることが出来ましたよ。
先ずは比較的最近の作品から、お祭りスタート!
未見の方が多い作品ではないかと推測するのですが、例によってネタバレを多く含みます。あらかじめご了承くださいませ。
また、今更あらためて書かなくとも、ウチのブログにお出でくださっている方には重々ご承知かと思いますが、管理人は好きな俳優本位でしか映画を観ないため、かなり偏った感想になってしまうであろうこともご承知おきください。ペコリ。


「キングス&クイーン」(2004年、フランス)

画廊を経営するノラ・コトレルは、死別した最初の夫ピエールとの間に10歳になる一人息子エリアスがいた。裕福な実業家ジャン・ジャックとの結婚を目前にしたノラは、グルノーブルに住む実父に息子を預けている。父の誕生日を祝うためグルノーブルに帰郷したノラは、父が末期がんに侵されていることを知らされる。父の介護と息子の面倒をどうすればいいのか、たった一人の妹は頼りにならず、ノラは途方に暮れてしまう。
ノラの元恋人で同棲相手だったヴィオラ奏者イスマエルは、突然拘束され、精神病院に入れられてしまっていた。エキセントリックで野放図な生活を送っていたイスマエルを疎んじた誰かが、法的処置によって強制入院させる手段を取ったらしいが、状況は判然としない。
再婚相手であるジャン・ジャックにエリアスが懐かないことを気に病むノラは、入院中のイスマエルを訪ね、エリアスを養子にして欲しいと懇願する。かつてエリアスを我が子のように可愛がっていたイスマエルではあったが、ノラの頼みは拒絶する。ノラはイスマエルを罵り、病院を後にする。
余命幾ばくも無い父を自宅に連れ戻したノラだったが、苦しみやせ衰えていく父を直視出来ない。そんな最中、訪ねてきた出版社の編集者が父の著作の校正を依頼してくる。身体の痛みをおして起き上がり、校正を始める父。
その姿を見たノラは、亡くなった夫ピエールとの生活と別れを思い出す。若かったノラとピエールはすれ違いと喧嘩を繰り返し、そしてある事件によって、エリアスをお腹に宿したノラを遺してピエールは亡くなったのだ。その時、父は、ノラのためにいろいろと手を尽くしてくれた。
やがてノラの父は亡くなり、ノラの手元には父の遺稿が残される。そこには、父が抱いていた本当の感情が赤裸々に書き記されており、ノラは驚愕する…。
一方のイスマエルはようやく精神病院からの退院が許可され、所属していた楽団に戻ろうとするが、そこには既にイスマエルの居場所は無くなっていた。イスマエルが気付かぬうちに、彼はある人物から悪意を向けられていたのだ…。


えーとですね、先ず最初の感想はと言うと・・・長い。「ミュンヘン」の2時間44分とまではいかないけど、2時間半だもん。
女主人公ノラとその元恋人イスマエル、彼らの現在と過去、彼らを取り巻く何人かの人間関係と縺れ捩れた感情を描くのに2時間30分を費やすとは、フランス映画恐るべし。
ところが意外や意外、この2時間半が決して退屈ではなかったんだな、これが。

この作品、ネットのデータではコメディ扱いになっていたんだけど、いったいどこがコメディなんですか?っていう内容。
先ずはとにかくヒロインのノラという女性が、実にこう、何と言うか…嫌な女なんだよね。
画廊スタッフや彼女を経済的に支えている婚約者への態度や言動の端々に相手を見下すような不遜さが見え隠れして、とにかく感じが悪い。
夫を早くに亡くし子供を抱えて苦労してきたキャリアウーマンという設定の割には、有能さや人間的魅力があまり感じられない。こんな人が身近にいたら私は絶対に友人にはならないし、係わり合いにもなりたくないなと、私個人としては考えてしまうタイプの女性。
そんなキャラクター設定だったので、冒頭から中盤に掛けては、このヒト感じ悪いー、嫌な女ーと思って、ちょっと引き気味に観ていたんだけど、途中から彼女の過去がいろいろ見えてくる内に、このノラ・コトレルというキャラクターに無性に興味が湧いてきたのです。
共感ではありません。一番近い表現をするなら…怖いものみたさ。


冒頭でノラは、一人息子のエリアスは自分の命だと語ります。
そうか、亡き夫の忘れ形見だものね、そりゃあ、何者にも変えがたいほど大事で愛しているよね…と思ってたら、この息子のことは遠くグルノーブルに住む父に預けていると云う。
仕事が忙しいとは言っても赤ん坊でもあるまいし、10歳になる男の子だもの、母子二人の共同生活は比較的容易なんじゃない?フランスは一人親家庭が多くて、児童福祉も発達しているはずだし。行動と言動に矛盾があるなあと思いながら観続けてたら、前の恋人イスマエルと同棲していた頃は息子も一緒に生活していたらしい。
どうやら、息子を父に預けている一番の理由は、現在の婚約者と息子が今ひとつ上手くいっていないから、のようです。
うーんと、それって、息子より男を取ったってこと?
しかも前述の通り、父が癌で余命幾ばくも無いと判った時点で、入院しているイスマエルの元を尋ね、エリアスを養子にしろと迫るのです。

彼女の主張その1.父が死んだらエリアスの面倒を見る人間がいなくなる。
彼女の主張その2.自分がもし死んだら、エリアスはこの世に一人ぼっちになってしまう。
彼女の主張その3.エリアスはイスマエルに懐いていた。今の婚約者には全く懐かない。

えーと、全部自分の都合ですから、それ!
そこにはイスマエルの立場や都合は全く考慮されておらず、それどころか、当のエリアスの感情や希望を確かめすらしていないのです。
イスマエルは、今は入院中でそんなことを考えられる状況に無いこと、確かにエリアスとは仲良しだったがノラと自分が別れたのはノラの意志によるものだったと述べ、養子の話を断わります。当然だよね(念のため再度書いておくと、イスマエルとエリアスは全くの赤の他人です)。
イスマエルに拒否されたノラは激昂し、一生入院してろ!出てくるな!と暴言を吐きまくります。
最後に彼女は、イスマエルに捨てられる前に自らイスマエルの元を去ったのだと言い放って、病院を後にするのです。
イスマエルは確かに奔放な生活を送り、華やかな女性関係でノラを悩ませたのかもしれないけれども、彼女の言動からは二人が別れた理由の全てをイスマエルに押し付けているようにも感じた。
ノラの都合通りに彼女の意に添うようにイスマエルが行動してくれない、それが二人の関係が破局した一番の理由だったのではないかと私は思ったのです。


ノラは妊娠中に夫を亡くしたということになっているのだけれども、実はそれは、半分は本当でも半分は後から糊塗されたもの。
同棲中だったピエールとノラはすれ違いと喧嘩が絶えず、ノラの妊娠によって追い詰められたピエールは狂乱の挙句、自らを銃で撃って死んでしまったのです。
その後出産したノラは、エリアスがピエールの子であるという法律的認知を求めて奔走し、死亡したピエールと自分との死後入籍を果たします。
そのノラの行動は、ピエールが亡くなった悲しさや切なさの挙句というよりも、自分と子供がピエールに見捨てられたという現実を絶対に認めたく無いがゆえ、愛する人に先立たれた悲劇のヒロインに自らを祀り上げるためのように見える。
そのなりふり構わぬ行動は哀れだったり共感を感じるというよりも、むしろ妄執のようで、空恐ろしさを感じさせられるものだった。


ノラには妹が一人居るのだけれども、ノラが出産した頃には地味で真面目そうだったこの妹は、この物語の現在進行形においては、自堕落で奔放な生活を送るようになってしまっている。
父が倒れた時も彼女は、所持金も無く父からの送金を待っているような状況で、彼女が何故ここまで変わってしまったかは物語の中では全く語られないのです。
妹がヒッチハイクの果てに自宅に辿りついた時、既に父は亡くなっていました。
自然死ではないのです。看護婦ですら拒んだ安楽死の注射を、ノラが自らの手で父に施したのです。当然ながら、妹はノラを責めます。

「何故、私が帰ってくるまで待ってくれなかったの!」
ノラは泣き叫びながら答えます。
「あまりにも苦しそうな姿を見ていられなかった!あなたはそれを見ていない!私はたった一人で、お父さんが苦しむ姿を側で見ていたのよ!」

父の苦しむ姿を見るのは確かに辛かったとは思う。でも、三人きりの家族、二人っきりの姉妹なのに、妹が帰ってくるまでのほんの1〜2日をノラは何故待てなかったのか。そこに、ノラの底意地の悪さが見え隠れする。
父が苦しむ姿を見ていられなかったというのは大義名分であって、むしろ自分自身が辛いから見ていたくないというのが本音なのではないか。肝心な時に身近におらず頼りにならなかった妹へのあてつけと、愛する父を自分だけが看取ったという独占欲がゆえの先走り。
どうしてもそんな風に見えてしまう、ノラの行動と姉妹の言い争いだった。
そして、ふと思いついたのが、妹が家を出て自堕落な生活をするようになった理由です。
父は妹を咎めだてすることなく、強請られるままに送金してやっているようだった。そこにはやはり、表面には出てこない姉妹の確執があったのではないだろうかと。父は、姉から妹への無言の圧力や隠された悪意を知っていたのではないだろうかと。


ノラの父はピエールの死に際し、ノラが責任を問われることを回避するため、証拠隠滅を図っています。ノラは父に感謝し、その後の人生においても父は常にノラの愛情と敬慕の対象だったのだけれども…父が残した遺稿には、凄まじい文章が残されていたのです。

自分はノラを愛してなどいなかった。高慢で自分本位なノラ、大人しい妹を蔑みいつも自分が一番でないと許せないノラ、皆に愛される優等生を演じるノラをいつも疎ましく思っていた、憎んでいた。自分が癌で死ぬのにノラが生き残るのは許せない。お前が替わりに死ねばいい、それが無理ならお前も死んでしまえ。

ここのくだりは真剣に背筋が寒くなりましたよ。何かの比喩では無いのです。冗談や偽悪的な表現などでもない。死に逝く者が死に怯えながら、最後に書き記した本当の本気の感情。
父の本音を知って愕然とするノラは、妹や編集者に見つからないよう、遺稿からその箇所だけを破りとって衣服の下に隠します。ところが、就寝前に服をめくった彼女のお腹、破り取った紙片を隠してあった箇所には、まるで火傷をしたかのような痣が残っているのです。
…コメディじゃないよねえ。むしろ、ホラー。徹底的に計算されつくし、最上級のテクニックを持って恐怖のどん底に突き落とす心理ホラー映画を観ているような気分で、退屈したり眠くなるどころじゃなかったよ。
このようなむき出しの悪意を、しかも自分が愛し信頼していた肉親から叩きつけられても、人間は生きていけるものなのだろうか?そう思って寒気がしたんだけど、ノラは結婚披露宴を延期することもせず、淡々とこれまで通りの生活を続けていく。
つ、強い…。


ノラは明々白々な悪女だったり、悪事を企む女だという訳ではない。お姫様気質のわがまま女というのでもなく、彼女なりに人生を切り開こうと必死で生きている。
しかしノラはその行動の全てにいちいち大義名分を振りかざし、とにかく自分は一番正しいという姿勢を貫き通す。私は間違ってない、私はちっとも悪くない、私だけがいろいろなことを真剣に考え悩んでいると主張します。彼女の計算高さや得手勝手な行動と思考パターンは、身近な存在であったなら本当にうんざりすることでしょう。
しかし、最後まで観終わってノラに対して感じたのは、当初考えたような「嫌な女!」というだけのものではなかった。
ノラの徹底した強さ、逞しさ、図太さは恐ろしいほど。しかし、その魂はどうしようも無いほどに憐れで哀しかったのです。

物語の終盤、ノラは「自分が生涯で愛した4人の男、その内の2人は死んでしまった」と語ります。
ノラと子供を見捨てて自殺したピエール。ノラを愛し見守るように振舞いながら、実はノラを憎み蔑んでいた父。一度は真剣に愛し合った才気溢れる魅力的なイスマエルは、ノラが望むような理想の伴侶には生り得なかった。そして、ピエールの忘れ形見である息子エリアスは、いつか大人になり自分の元から羽ばたいていってしまうだろう。
ノラは多分ごく幼い頃から、父親の愛情が本物で無いことを気付いていたのではないでしょうか。だからこそ必死で父の愛を求め、それを独占できるように生きてきた。
自分が愛する存在のその愛を独占したい。彼女は無意識のうちに、常にそんな風に愛を求め、空っぽの心を抱いて生きてきたのではないかと思うのです。
ピエールが自分と子供を見捨てたという事実を隠蔽し死後入籍を行ったこと。
幼い頃から独占してきたはずの父親の愛情は全て偽りだったことを知った時、まるで聖痕のような痕が身体に刻まれたこと。
自分が捨てられることに怯えるあまり、自分の方からイスマエルを捨てたこと。
息子が命と言いながらも手元で養育せず、イスマエルの養子にしようと諮ったこと。
それらの全ては、自分が愛されていないことから目を逸らし、愛情の欠如からぽっかりと空いてしまった自分自身の空洞を他の何か〜社会的認知であったり、事実の隠蔽と摩り替えであったり、プライドを保つことであったり〜で埋めようとする代償行為に他ならないのではないかと。
自分の夢想の中だけにある自分にとってのまことの愛を求めて彷徨う、哀しくも恐ろしい一種の異形。それがノラ・コトレルという女性の真実なのかもしれません。


うーむ。ノラがいかに怖い女かってことしか書いてないなあ。イスマエル=マチュー(の可愛さ)についてはどうした!
あまりにも長くなっちゃうので、続きはまた明日と云うことで…ゴメン!石投げないでー!


ダメダメだけど可愛くて憎めないイスマエル=マチューと、主治医の先生(老いてなお、綺麗なカトリーヌ・ドヌーブ)。

| 1/2PAGES | >>

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

recent comment

categories

Twitter

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM