等身大の男の逃走劇〜「ゴールデンスランバー」
2010.02.12 Friday
長引きに長引いた風邪がようやく落ち着きをみせた先週の土曜日、「ゴールデンスランバー」の鑑賞がようやく叶いました。
この映画、堺雅人の主演作としてはこれまでで最大規模の公開なんじゃないかなあ。
宣伝もなかなか派手で、お金もそこそこ掛かってて、テレビCMも頻繁に流されてたし、堺雅人をはじめとする出演者のテレビ出演も多くて追いかけきれないくらいだったし。
ほとんどのシネコンで上映されているので、「新宿で単館上映、しかもレイトショーのみだとお?観にイケネーよ」と泣いたり(壁男)、「お盆を挟んだ真夏の恵比寿で単館上映、時間も体力も無いぜ…」と諦めたり(ジャージの二人)しないで済むのが、まことにもってありがたい。
話題作の第二弾だった「ジェネラルルージュの凱旋」や大作「クライマーズ・ハイ」はもちろん上映館も多く宣伝も大掛かりだったけど、あれらは堺主演作ではなかったしね。いや、厳密に言えばジェネラルは堺雅人主演と言い切ってしかるべきだろうが一応は違うしね。
「アフタースクール」は作品の完成度は高いし面白いし主演三人(厳密には大泉洋主演なんだろうが、あえて)も良かったけど、案外、上映館は少なかったはず。勿体無いねえ。
主演作「南極料理人」は派手さは無いもののとても良い映画だったけど、これまた上映館は少なかった。テレビや雑誌の映画評では結構取り上げてくれて、嬉しかったけど。
「クヒオ大佐」は幸いにもたまたま近場で上映されたけど、世間的にはさしたる話題にもならず、上映館は南極以上に少なかったような。
この映画、きちんとした感想を書いてないのは、楽しみにしてた割には「うーん…」だったから。堺雅人主演じゃなかったら、正直「うーん…」ってレベル。テーマは興味深いし、役者陣は揃って好演してたんだけど、作品の仕上がりとしては不満が残る映画だった。
地味だけど上質な素材(役者)を集め、ちょっと珍しいけどよーく味わえばつくづく美味しい大人向け料理(ヒネリと諧謔と趣きのある作品)を作ろうとしたのに、調味料と味付けを間違えちゃってトンデモ料理になっちゃた、そんな感じ。これまた、勿体無いねえ。
「ラッシュライフ」は…まことにもって申し訳無いが、学生さんの企画作品ということで、都内まで出張る根性がおきなかった。すまん。
でもって、こういうところで私は自分が真のファン、真のマニア、真のオタクにはなりきれないと思ったりするのでした。ついつい、対費用効果を考えてしまう。
この場合の「費用」はお金じゃなくて、「時間」とか「体力」とかなのだけれども。
話が横道に逸れ出したので、ちょいと軌道修正。よっこいしょっと。
と云うことで、今回の「ゴールデンスランバー」は実にストレートな意味での「話題作」と言えるかと。
なんつったって「イケメン俳優」主演ですからね!(笑) 私が言ったんじゃないよ、「おしゃれイズム」で司会者がそう紹介してたんだよ。
しかし。個人の主観だけど、堺雅人という存在とイケメンと云う表現は間逆ではないかと思うのですよ。
端正とか整った顔立ちと表現されたらうんうんって頷くし、美形と表現されてたら、うぷぷって喜ぶけど、イケメンはいかんよ。俳優やってるくせに、あれほど自分を格好良く見せようという意識の無い人には全くもって似合わない形容詞だもん。
きゃんさん的、イケメンの定義:
他人がそう思うのと同程度に自分自身が格好良いと自覚があり、格好悪くならない程度に格好つけることが出来る人。
服のセンスが良くて流行のファッションをさらりと着こなせるか、そもそもスタイルが抜群なのでTシャツとジーンズでも十分格好良く見せる自信がある人。
運動神経が良い、または運動神経が良さそうに見えることも必須。
多少、お水っぽい雰囲気を漂わせている。または、スポーツマン風(あくまでも「風」であって、そうでなくてもよい)である。
ほーらね、堺雅人はイケメンではないのだ。うん、うん。
ファンにあるまじき発言であることは合点承知だけど、堺雅人の魅力を語るのにイケメン俳優と云う軽い言葉は似合わんもん。とことん似合わん。
単に演技派俳優と表現してもいいけど、笑ってないと実は大きな二重の目や通った鼻筋が勿体無いので、知的美人、と言う言葉が似合うのではと思うのだが、如何?
…腐った発言はさておいて(話が前に進まないじゃないか!)。
映画公開前の華やかな宣伝活動や公開後もテレビ出演に勤しむ堺雅人の姿を観ては、「こんなに立派になって」と密かにウルウルする私がいたのは、冗談のようだが本当の話。
田舎のお母さんとか昔の担任の先生みたいな発言だけど、大河ドラマ「新選組!」またはそれ以前からの堺ファンは、結構同じような心境だったんじゃないかなあ。
「新選組!」の山南さんで一般的に名前が知られるようになり、一部のマニアックなファン(含む私)から熱狂的な支持を受けるようになり、当然ながら大河以降の出演作に超期待したのだけれども。
民放各局の扱いが、あんまりアノソノでねえ(涙)。
「あの!山南敬助を演じた堺雅人!」的に番宣した割にほんの脇役、添えモノだったり、ファンですら途中で観るのが嫌になるような〇〇な(←クリームソーダを縮めていってみてくれい)ドラマに使いやがったり。
いや、それまでは年に1本程度しか出てなかったテレビドラマに頻繁に登場するようになったんだから、堺雅人本人はそうは思ってなかったと思うんだけど。何せ、「来た球は打つ」のが身上の人なので。
でもねえ、いくらファンでも「孤独の賭け 愛しき人よ」と「氷の華」は酷かった。再放送したって、二度と見返すもんか。あ、クリームソーダをバラシちゃった。
予想外に良かったのが、漫画が原作の「ヒミツの花園」なんだよね。男四人兄弟の長男役っていう設定が個人的ツボだったののかもだが。わはは。
いつも通り話がずれまくってますが、要するに公開を嬉しく楽しく待ち望んでいたと。そう云うことが言いたかった訳です。長いですねえ、文章の無駄遣いですねえ。
でもって、いよいよ本題です。
…その前に。以下の記事はネタバレ超満載です。
映画未見の方には申し訳無いのですが、ネタバレ無しに感想を書くと、十行くらいで終わっちゃいそうなので。
ネタバレは嫌よ!の方は、回れ右。今週末にお宅の近くのシネコンで「ゴールデンスランバー」を観てから、読んでくださいませー。

「ゴールデンスランバー」(2010年、日本)
首相の凱旋パレードが行われているそのすぐ近くで青柳は、大学時代の友人・森田と久しぶりに再会していた。様子がおかしい森田。そして爆発音。首相を狙った爆弾テロが行われたのだ。「逃げろ!オズワルドにされるぞ」。銃を構えた警官たちから、反射的に逃げ出す青柳。本人の知らない“証拠映像”が次々に現れ、青柳は自分を犯人に仕立てる巧妙な計画が立てられていた事を知る。青柳は大学時代の友人たちに助けを求めるが…(goo映画より、引用)。
いやあ、実に面白かったです。堺主演というファンフィルターを取っ払っても、十二分に面白く満足できる映画。139分もある映画なのに、全然長く感じなかった。
淡々と始まったオープニングから一転、あれよあれよの内に首相暗殺犯人に祭り上げられる主人公の姿と怒涛のストーリー展開、手に汗握ってあっという間の二時間二十分でした。
冷静に考えてみると、主人公・青柳雅春が陥れられる理由やそのやり口など、そもそもの設定自体がかなり無茶苦茶だし、青柳を助ける人物たちとの出会いや話の展開は偶然に頼りすぎる箇所が多く、本当なら観ていて違和感を感じるんじゃないかと思わないでもないんだけど、ところがどっこいそうじゃないんだよねえ。
物語に絡め取られ、映画世界に惹き込まれてしまう。
有り得ない展開も偶然の出会いも、そんなことも有り得るよねって思わされてしまう。
息も吐かせずジェットコースター的に物語を進めて観客に考える暇を与えない手法かと思うと、そうでもないところがこれまた憎いのです。
ストーリー展開に緩急が効いていて、あれよあれよの箇所ももちろん多いんだけど、回想シーンを中心としてゆったりまったりしたシーンも結構ある。
普通なら、まったりシーンで観てる方の気持ちも落ち着いてきちゃって、「ちょっと待てよ、さっきのあの出会いは無理があるよね」とか脳裏を掠めたりするもんなんだけど、私はいつもはそうなんだけど、この映画についてはそういう風にならなかった。
なんでかなあと考えてみた結論として、物語の進行が実にナチュラルに感じさせられることがその要因の一つなんじゃないかと。
堺雅人のインタビューによると、仙台市内を青柳雅春が逃げるシーンでは、実際にその場所を移動する時間に準拠して作られているらしい。それだけに映像にリアリティがあって、観てるこちらもまさに手に汗握る状況に陥ってしまう。
そして、青柳雅春を演じる堺雅人の演技がこれまたナチュラル。走る、飛び降りる、戦う、抗う、怯える、泣く、笑うなどなど、全ての演技が演技を超え、等身大の生身のリアルな男の姿に見える。
これまた本人の言だけど「アクション俳優でない俳優のアクションを見てください」。
映画やドラマでよく見る計算されたアクションとは掛け離れた、格好良くなくて、むしろみっともないくらいで、しかし生き延びることに必死な一人の男の天然自然な肉体の躍動、心の叫び。
愚直なまでに人を信じようとする青柳の姿は観ていてもどかしくもあるのだけれども、同時に彼のその真っ直ぐな心こそが、青柳を助けようと奔走する人々の原動力でもあるんだろうなと思う。
スクリーンに映しだされているのは役者・堺雅人ではなく、仙台で青春時代を過ごし大学を卒業し今は宅配ドライバーとして堅実な生活を営んでいる、青柳雅春という一人の青年でした。
主人公以外の登場人物たち、それぞれのキャラが立っているのも印象的だった。
物語の都合に合わせるための薄っぺらなカキワリ的人物が、ほとんど出てこない。特に青柳サイドの登場人物たちは皆、それぞれのキャラクターがそれぞれの人生を背負い、泣いたり笑ったり喜んだり怒ったりしながら日々を生きてきたんだろうな、そんな風に思わせてくれる描き方が成されている。
青柳を助けようとする元恋人樋口晴子の、しなやかなしたたかさ。
青柳を無実の罪に陥れたという負債を心に抱いたまま、爆死する森田森吾の悲哀。
青柳同様、突然の嵐に巻き込まれながらも、友人へ向ける優しさや気遣いを失わない小野一夫(劇団ひとり)。
息子を信じ続ける青柳両親の、地に足の付いた真っ当ぶり。
特に興味深かったのが、偶然の出会いから青柳を助けるキルオの存在です。
映画冒頭から、その存在がチラチラと見え隠れすることから重要なキャラクターであるであろうとは思っていたんだけど、まさか本当に通り魔だとは。人を刺したり殺したりすることに何のためらいも感じない、ある種のサイコキラーだとは。そして、そのサイコキラーが「単なるきまぐれ」で青柳を助け、そしてそのために死んでゆくとは。…まさか、思わないよねえ。
生ぬるい物語にありがちな、実は本当は良い人間だったとか、実はその行動には裏があってとか、そんなのなーんにも無い。善悪の観念が全く無い、無邪気に人を殺し、無邪気に青柳を助ける男。
下手したらまさにご都合主義のカキワリキャラに成りかねないキルオというこの人物が、しっかりとした骨格をもった人間として描かれていたことが、この物語におけるキャラクター描写の巧みさを表していると思う。
そしてやっぱり何よりも、本来の物語が持っている圧倒的なまでの力強さ。これれこそが、映画の成功のとにかくの第一要因なんじゃないかと思われます。
とにかくストーリー全体の構成が素晴らしい。伏線の貼り方と回収が見事この上無し。登場人物それぞれに存在意義がありキャラ他立ち、書き割りのような薄っぺらさなどどこにもない。
青柳が首相暗殺犯人に祭り上げられる過程は一見して荒唐無稽のようでありながらも、絶対に無いとは言い切れない恐ろしさがあります。そして観客にそう感じさせるのは、物語冒頭で青柳の友人である森田森吾(吉岡秀隆)の語る「お前、オズワルドにされるぞ」の一言故なんです。いやあ、見事だ。台詞一つにすら全く無駄が無い。
青柳が犯人と認定される証拠物件の一つとして、防犯ビデオに青柳の姿が写っていたというシーンがあります。
観ている時は、「今時なら、ビデオなんていくらでも合成できるじゃん」と思いまして。そしその後、青柳そっくりに整形した偽者の存在が判明する展開では、「わざわざ関係者を増やしたら、虚構が決壊しやすくなるだけじゃない?無駄、無駄」と思ったのですが。
ラストで、ああ、そうですか、そう来るのねと。上手いなあ、あれもこれもぜーんぶ伏線だったのねと。
完璧に、してやられました。
勧善懲悪とは決して言い切れない、実に切ない終わり方には、違和感や反感を持つ観客もいるんじゃないかと思う。でも、この物語が物語ではなく本当にあったことだとしたら、この終わり方は至極ナチュラルなんじゃないかとも思う。
青柳がヒーローになることの無い物語の終結は、例えばハリウッド映画だったら有り得ない。
でも、それならオズワルドはどうだった? 死刑判決を受けながらも冤罪を訴え続け、なぜか刑が執行されないままに獄中で無くなった某死刑囚はどうだった?
そう、何の力もコネもバックも持ち合わせていないごくごく普通の一般人が、知恵も力も持っている悪人を、ましてや国家権力を敵に回して勝利を収めることなんて有り得ない、それこそ荒唐無稽なおとぎ話に過ぎないのです。
青柳に掴み得る唯一の勝利は、とにかく生き延びることでしかない。そしてそうした意味では青柳は、見事勝利を勝ち取るのです。
「格好悪くてもみっともなくてもいいから、生きろ」
死んでしまった森田に、そう言われた通りに。
鑑賞後、実に切なく物悲しい気分に囚われてしまった。
幽霊のような存在となってしまった青柳は、決して短くはないであろうこれからの人生をどのように生きていくんだろう。
家族からも友人からも切り離され、幽霊である以上、新しい人間関係も仕事のキャリアだって築くことは出来ない。社会の隅っこもしくは裏の裏側で、影のように目立たぬように生きていくしかない。
それでも青柳はきっと生きていくんだろうな、とも思う。彼を支えてくれた人々の心を、宝物のように抱えこみながら。
二点ほど、気になった箇所が。
序盤で、青柳の元恋人である樋口晴子が事件を知るというシーンなんだけどが、リアルタイムで爆発を目撃するのね。ところが映画の展開上では、既に青柳は犯人に擬せられ逃げている真っ最中。
要するに映画上で時間軸が少し戻るんだけど、ここがねえ、ちょっと気になった。
過去のシーンが何度も挿入されるし、時間軸を前後させている箇所は他にもあったんだけど、現代の仙台でのシーンは基本的にリアルタイム進行だっただけに、ここだけどうにも違和感があって。
同時進行的な流れに編集すべきだったのではないかと。
もう一つが、青柳を助けようとする会社の先輩が作ったシナリオ。
何故、ダンボール箱に詰めた青柳をそのまま県外に運び出さず、あんな一か八かみたいな作戦を選んだのか。たまたま上手いこと逃亡に成功したけど、あんなに多くの警察官を相手にしたら逃げ切れる可能性のほうが圧倒的に少ないと思うのだが。
多分、検問が厳しくて宅配便の荷物も全部チェックされそうだから、とかの理由があったんだと思うんだけど、もしくは、ビルで出会った会社社長に通報された、とかね。それならそれで、ほんの数秒でもいいから説明台詞なり、そうした内容の映像をはさむべきだったと思う。
「お前を警察に引き渡す」と云ってからの暗転は、CMを挟んだり続きはまた来週のテレビドラマなら有効だけど、映画の手法としてはちょっとあざと過ぎ。ほんの数十秒後にネタばれするんだから、意味が無い。
とまあ、二箇所ほど重箱の隅を突っついてみましたが、映画全体に響くような瑕疵では全くありません。
手に汗握ってハラハラドキドキして、権力者の横暴に心の底からムカついて、人を信じることの尊さや無私の心に感動して、ホッとして、切なくなって。
映画を観ることの喜びや楽しさを沢山堪能できる作品。出来れば映画館のスクリーンで是非ご覧あれ。
この映画、堺雅人の主演作としてはこれまでで最大規模の公開なんじゃないかなあ。
宣伝もなかなか派手で、お金もそこそこ掛かってて、テレビCMも頻繁に流されてたし、堺雅人をはじめとする出演者のテレビ出演も多くて追いかけきれないくらいだったし。
ほとんどのシネコンで上映されているので、「新宿で単館上映、しかもレイトショーのみだとお?観にイケネーよ」と泣いたり(壁男)、「お盆を挟んだ真夏の恵比寿で単館上映、時間も体力も無いぜ…」と諦めたり(ジャージの二人)しないで済むのが、まことにもってありがたい。
話題作の第二弾だった「ジェネラルルージュの凱旋」や大作「クライマーズ・ハイ」はもちろん上映館も多く宣伝も大掛かりだったけど、あれらは堺主演作ではなかったしね。いや、厳密に言えばジェネラルは堺雅人主演と言い切ってしかるべきだろうが一応は違うしね。
「アフタースクール」は作品の完成度は高いし面白いし主演三人(厳密には大泉洋主演なんだろうが、あえて)も良かったけど、案外、上映館は少なかったはず。勿体無いねえ。
主演作「南極料理人」は派手さは無いもののとても良い映画だったけど、これまた上映館は少なかった。テレビや雑誌の映画評では結構取り上げてくれて、嬉しかったけど。
「クヒオ大佐」は幸いにもたまたま近場で上映されたけど、世間的にはさしたる話題にもならず、上映館は南極以上に少なかったような。
この映画、きちんとした感想を書いてないのは、楽しみにしてた割には「うーん…」だったから。堺雅人主演じゃなかったら、正直「うーん…」ってレベル。テーマは興味深いし、役者陣は揃って好演してたんだけど、作品の仕上がりとしては不満が残る映画だった。
地味だけど上質な素材(役者)を集め、ちょっと珍しいけどよーく味わえばつくづく美味しい大人向け料理(ヒネリと諧謔と趣きのある作品)を作ろうとしたのに、調味料と味付けを間違えちゃってトンデモ料理になっちゃた、そんな感じ。これまた、勿体無いねえ。
「ラッシュライフ」は…まことにもって申し訳無いが、学生さんの企画作品ということで、都内まで出張る根性がおきなかった。すまん。
でもって、こういうところで私は自分が真のファン、真のマニア、真のオタクにはなりきれないと思ったりするのでした。ついつい、対費用効果を考えてしまう。
この場合の「費用」はお金じゃなくて、「時間」とか「体力」とかなのだけれども。
話が横道に逸れ出したので、ちょいと軌道修正。よっこいしょっと。
と云うことで、今回の「ゴールデンスランバー」は実にストレートな意味での「話題作」と言えるかと。
なんつったって「イケメン俳優」主演ですからね!(笑) 私が言ったんじゃないよ、「おしゃれイズム」で司会者がそう紹介してたんだよ。
しかし。個人の主観だけど、堺雅人という存在とイケメンと云う表現は間逆ではないかと思うのですよ。
端正とか整った顔立ちと表現されたらうんうんって頷くし、美形と表現されてたら、うぷぷって喜ぶけど、イケメンはいかんよ。俳優やってるくせに、あれほど自分を格好良く見せようという意識の無い人には全くもって似合わない形容詞だもん。
きゃんさん的、イケメンの定義:
他人がそう思うのと同程度に自分自身が格好良いと自覚があり、格好悪くならない程度に格好つけることが出来る人。
服のセンスが良くて流行のファッションをさらりと着こなせるか、そもそもスタイルが抜群なのでTシャツとジーンズでも十分格好良く見せる自信がある人。
運動神経が良い、または運動神経が良さそうに見えることも必須。
多少、お水っぽい雰囲気を漂わせている。または、スポーツマン風(あくまでも「風」であって、そうでなくてもよい)である。
ほーらね、堺雅人はイケメンではないのだ。うん、うん。
ファンにあるまじき発言であることは合点承知だけど、堺雅人の魅力を語るのにイケメン俳優と云う軽い言葉は似合わんもん。とことん似合わん。
単に演技派俳優と表現してもいいけど、笑ってないと実は大きな二重の目や通った鼻筋が勿体無いので、知的美人、と言う言葉が似合うのではと思うのだが、如何?
…腐った発言はさておいて(話が前に進まないじゃないか!)。
映画公開前の華やかな宣伝活動や公開後もテレビ出演に勤しむ堺雅人の姿を観ては、「こんなに立派になって」と密かにウルウルする私がいたのは、冗談のようだが本当の話。
田舎のお母さんとか昔の担任の先生みたいな発言だけど、大河ドラマ「新選組!」またはそれ以前からの堺ファンは、結構同じような心境だったんじゃないかなあ。
「新選組!」の山南さんで一般的に名前が知られるようになり、一部のマニアックなファン(含む私)から熱狂的な支持を受けるようになり、当然ながら大河以降の出演作に超期待したのだけれども。
民放各局の扱いが、あんまりアノソノでねえ(涙)。
「あの!山南敬助を演じた堺雅人!」的に番宣した割にほんの脇役、添えモノだったり、ファンですら途中で観るのが嫌になるような〇〇な(←クリームソーダを縮めていってみてくれい)ドラマに使いやがったり。
いや、それまでは年に1本程度しか出てなかったテレビドラマに頻繁に登場するようになったんだから、堺雅人本人はそうは思ってなかったと思うんだけど。何せ、「来た球は打つ」のが身上の人なので。
でもねえ、いくらファンでも「孤独の賭け 愛しき人よ」と「氷の華」は酷かった。再放送したって、二度と見返すもんか。あ、クリームソーダをバラシちゃった。
予想外に良かったのが、漫画が原作の「ヒミツの花園」なんだよね。男四人兄弟の長男役っていう設定が個人的ツボだったののかもだが。わはは。
いつも通り話がずれまくってますが、要するに公開を嬉しく楽しく待ち望んでいたと。そう云うことが言いたかった訳です。長いですねえ、文章の無駄遣いですねえ。
でもって、いよいよ本題です。
…その前に。以下の記事はネタバレ超満載です。
映画未見の方には申し訳無いのですが、ネタバレ無しに感想を書くと、十行くらいで終わっちゃいそうなので。
ネタバレは嫌よ!の方は、回れ右。今週末にお宅の近くのシネコンで「ゴールデンスランバー」を観てから、読んでくださいませー。
「ゴールデンスランバー」(2010年、日本)
首相の凱旋パレードが行われているそのすぐ近くで青柳は、大学時代の友人・森田と久しぶりに再会していた。様子がおかしい森田。そして爆発音。首相を狙った爆弾テロが行われたのだ。「逃げろ!オズワルドにされるぞ」。銃を構えた警官たちから、反射的に逃げ出す青柳。本人の知らない“証拠映像”が次々に現れ、青柳は自分を犯人に仕立てる巧妙な計画が立てられていた事を知る。青柳は大学時代の友人たちに助けを求めるが…(goo映画より、引用)。
いやあ、実に面白かったです。堺主演というファンフィルターを取っ払っても、十二分に面白く満足できる映画。139分もある映画なのに、全然長く感じなかった。
淡々と始まったオープニングから一転、あれよあれよの内に首相暗殺犯人に祭り上げられる主人公の姿と怒涛のストーリー展開、手に汗握ってあっという間の二時間二十分でした。
冷静に考えてみると、主人公・青柳雅春が陥れられる理由やそのやり口など、そもそもの設定自体がかなり無茶苦茶だし、青柳を助ける人物たちとの出会いや話の展開は偶然に頼りすぎる箇所が多く、本当なら観ていて違和感を感じるんじゃないかと思わないでもないんだけど、ところがどっこいそうじゃないんだよねえ。
物語に絡め取られ、映画世界に惹き込まれてしまう。
有り得ない展開も偶然の出会いも、そんなことも有り得るよねって思わされてしまう。
息も吐かせずジェットコースター的に物語を進めて観客に考える暇を与えない手法かと思うと、そうでもないところがこれまた憎いのです。
ストーリー展開に緩急が効いていて、あれよあれよの箇所ももちろん多いんだけど、回想シーンを中心としてゆったりまったりしたシーンも結構ある。
普通なら、まったりシーンで観てる方の気持ちも落ち着いてきちゃって、「ちょっと待てよ、さっきのあの出会いは無理があるよね」とか脳裏を掠めたりするもんなんだけど、私はいつもはそうなんだけど、この映画についてはそういう風にならなかった。
なんでかなあと考えてみた結論として、物語の進行が実にナチュラルに感じさせられることがその要因の一つなんじゃないかと。
堺雅人のインタビューによると、仙台市内を青柳雅春が逃げるシーンでは、実際にその場所を移動する時間に準拠して作られているらしい。それだけに映像にリアリティがあって、観てるこちらもまさに手に汗握る状況に陥ってしまう。
そして、青柳雅春を演じる堺雅人の演技がこれまたナチュラル。走る、飛び降りる、戦う、抗う、怯える、泣く、笑うなどなど、全ての演技が演技を超え、等身大の生身のリアルな男の姿に見える。
これまた本人の言だけど「アクション俳優でない俳優のアクションを見てください」。
映画やドラマでよく見る計算されたアクションとは掛け離れた、格好良くなくて、むしろみっともないくらいで、しかし生き延びることに必死な一人の男の天然自然な肉体の躍動、心の叫び。
愚直なまでに人を信じようとする青柳の姿は観ていてもどかしくもあるのだけれども、同時に彼のその真っ直ぐな心こそが、青柳を助けようと奔走する人々の原動力でもあるんだろうなと思う。
スクリーンに映しだされているのは役者・堺雅人ではなく、仙台で青春時代を過ごし大学を卒業し今は宅配ドライバーとして堅実な生活を営んでいる、青柳雅春という一人の青年でした。
主人公以外の登場人物たち、それぞれのキャラが立っているのも印象的だった。
物語の都合に合わせるための薄っぺらなカキワリ的人物が、ほとんど出てこない。特に青柳サイドの登場人物たちは皆、それぞれのキャラクターがそれぞれの人生を背負い、泣いたり笑ったり喜んだり怒ったりしながら日々を生きてきたんだろうな、そんな風に思わせてくれる描き方が成されている。
青柳を助けようとする元恋人樋口晴子の、しなやかなしたたかさ。
青柳を無実の罪に陥れたという負債を心に抱いたまま、爆死する森田森吾の悲哀。
青柳同様、突然の嵐に巻き込まれながらも、友人へ向ける優しさや気遣いを失わない小野一夫(劇団ひとり)。
息子を信じ続ける青柳両親の、地に足の付いた真っ当ぶり。
特に興味深かったのが、偶然の出会いから青柳を助けるキルオの存在です。
映画冒頭から、その存在がチラチラと見え隠れすることから重要なキャラクターであるであろうとは思っていたんだけど、まさか本当に通り魔だとは。人を刺したり殺したりすることに何のためらいも感じない、ある種のサイコキラーだとは。そして、そのサイコキラーが「単なるきまぐれ」で青柳を助け、そしてそのために死んでゆくとは。…まさか、思わないよねえ。
生ぬるい物語にありがちな、実は本当は良い人間だったとか、実はその行動には裏があってとか、そんなのなーんにも無い。善悪の観念が全く無い、無邪気に人を殺し、無邪気に青柳を助ける男。
下手したらまさにご都合主義のカキワリキャラに成りかねないキルオというこの人物が、しっかりとした骨格をもった人間として描かれていたことが、この物語におけるキャラクター描写の巧みさを表していると思う。
そしてやっぱり何よりも、本来の物語が持っている圧倒的なまでの力強さ。これれこそが、映画の成功のとにかくの第一要因なんじゃないかと思われます。
とにかくストーリー全体の構成が素晴らしい。伏線の貼り方と回収が見事この上無し。登場人物それぞれに存在意義がありキャラ他立ち、書き割りのような薄っぺらさなどどこにもない。
青柳が首相暗殺犯人に祭り上げられる過程は一見して荒唐無稽のようでありながらも、絶対に無いとは言い切れない恐ろしさがあります。そして観客にそう感じさせるのは、物語冒頭で青柳の友人である森田森吾(吉岡秀隆)の語る「お前、オズワルドにされるぞ」の一言故なんです。いやあ、見事だ。台詞一つにすら全く無駄が無い。
青柳が犯人と認定される証拠物件の一つとして、防犯ビデオに青柳の姿が写っていたというシーンがあります。
観ている時は、「今時なら、ビデオなんていくらでも合成できるじゃん」と思いまして。そしその後、青柳そっくりに整形した偽者の存在が判明する展開では、「わざわざ関係者を増やしたら、虚構が決壊しやすくなるだけじゃない?無駄、無駄」と思ったのですが。
ラストで、ああ、そうですか、そう来るのねと。上手いなあ、あれもこれもぜーんぶ伏線だったのねと。
完璧に、してやられました。
勧善懲悪とは決して言い切れない、実に切ない終わり方には、違和感や反感を持つ観客もいるんじゃないかと思う。でも、この物語が物語ではなく本当にあったことだとしたら、この終わり方は至極ナチュラルなんじゃないかとも思う。
青柳がヒーローになることの無い物語の終結は、例えばハリウッド映画だったら有り得ない。
でも、それならオズワルドはどうだった? 死刑判決を受けながらも冤罪を訴え続け、なぜか刑が執行されないままに獄中で無くなった某死刑囚はどうだった?
そう、何の力もコネもバックも持ち合わせていないごくごく普通の一般人が、知恵も力も持っている悪人を、ましてや国家権力を敵に回して勝利を収めることなんて有り得ない、それこそ荒唐無稽なおとぎ話に過ぎないのです。
青柳に掴み得る唯一の勝利は、とにかく生き延びることでしかない。そしてそうした意味では青柳は、見事勝利を勝ち取るのです。
「格好悪くてもみっともなくてもいいから、生きろ」
死んでしまった森田に、そう言われた通りに。
鑑賞後、実に切なく物悲しい気分に囚われてしまった。
幽霊のような存在となってしまった青柳は、決して短くはないであろうこれからの人生をどのように生きていくんだろう。
家族からも友人からも切り離され、幽霊である以上、新しい人間関係も仕事のキャリアだって築くことは出来ない。社会の隅っこもしくは裏の裏側で、影のように目立たぬように生きていくしかない。
それでも青柳はきっと生きていくんだろうな、とも思う。彼を支えてくれた人々の心を、宝物のように抱えこみながら。
二点ほど、気になった箇所が。
序盤で、青柳の元恋人である樋口晴子が事件を知るというシーンなんだけどが、リアルタイムで爆発を目撃するのね。ところが映画の展開上では、既に青柳は犯人に擬せられ逃げている真っ最中。
要するに映画上で時間軸が少し戻るんだけど、ここがねえ、ちょっと気になった。
過去のシーンが何度も挿入されるし、時間軸を前後させている箇所は他にもあったんだけど、現代の仙台でのシーンは基本的にリアルタイム進行だっただけに、ここだけどうにも違和感があって。
同時進行的な流れに編集すべきだったのではないかと。
もう一つが、青柳を助けようとする会社の先輩が作ったシナリオ。
何故、ダンボール箱に詰めた青柳をそのまま県外に運び出さず、あんな一か八かみたいな作戦を選んだのか。たまたま上手いこと逃亡に成功したけど、あんなに多くの警察官を相手にしたら逃げ切れる可能性のほうが圧倒的に少ないと思うのだが。
多分、検問が厳しくて宅配便の荷物も全部チェックされそうだから、とかの理由があったんだと思うんだけど、もしくは、ビルで出会った会社社長に通報された、とかね。それならそれで、ほんの数秒でもいいから説明台詞なり、そうした内容の映像をはさむべきだったと思う。
「お前を警察に引き渡す」と云ってからの暗転は、CMを挟んだり続きはまた来週のテレビドラマなら有効だけど、映画の手法としてはちょっとあざと過ぎ。ほんの数十秒後にネタばれするんだから、意味が無い。
とまあ、二箇所ほど重箱の隅を突っついてみましたが、映画全体に響くような瑕疵では全くありません。
手に汗握ってハラハラドキドキして、権力者の横暴に心の底からムカついて、人を信じることの尊さや無私の心に感動して、ホッとして、切なくなって。
映画を観ることの喜びや楽しさを沢山堪能できる作品。出来れば映画館のスクリーンで是非ご覧あれ。


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